アピールする機会2008/03/01 21:57:10

今日から3月。
早いものだ。ついこのあいだ正月だといっていたのに、もうこんなになるとは。

プロ野球はメジャーも日本もいよいよオープン戦が始まった。
ちなみにこの「オープン戦」。アメリカではこう言っても「?」という顔をされる。
Exhibition Game, Pre-season gameという。フットボールNFLでは9月から始まる公式戦のまえに8月いっぱいのあいだの試合をPre-season gameと呼んでいる。日本でも開催されたNFLの試合はすべてPre-season gameだ。このなかにはフットボールの名誉の殿堂である、Hall of Fame gameといって1月のスーパーボウル期間中にNFLから、NFLに貢献したとしてオハイオ州キャントンにある、「名誉の殿堂」入りに選ばれた名選手やコーチ、チームオーナーなどの表彰も兼ねた試合がある。シーズン中ではなくPre-season gameの時期に行われる。
シーズン前の試合だからといっておろそかにはできない。なぜならフットボールにしろメジャーリーグにしろ、ロースター、チーム登録枠に決められた人数に入ることができるかどうかであり、当落線上もしくは新人選手にとって、ベテラン選手をけ落としてでも入ることができるかどうかアピールする機会だからだ。

昨年メジャーでプレーした選手も含め、日本から今年21人の選手がメジャー入りをかけているが、昨年活躍したからといって今年保証されている、チームに残れるという選手はごく少ないであろう。なおさら移籍した、あるいは新入団した選手にとっては、認めてもらえるか否かだけなのである。
長い162試合というシーズンが始まるのは来月だ。

居眠りをした弟子たち2008/03/02 21:59:26

礼拝説教で居眠りについて語られた。居眠りが説教の主題ではないが、ついつい眠くなってしまうことの多いわたしにとって悩みでもある。
弟子たちが、イエスが祈っているあいだ、目を覚ましていることができなかったという福音書の記事は、医学的精神科学的に見てどうなのだろう。

おそらく弟子たちは相当の混乱した心理状態にあったのではないだろうか。イエスは処刑される。処刑されたあとで自分たちもローマ帝国やエルサレムの宗教指導者に逮捕されるのではないかという恐怖、それ以前に自分たちの師であるイエスをまったく理解できていなかったのだろう。それらが極限のピークに達して居眠りになったのではないだろうか。

だがその混乱から立ち直った弟子たちを、福音書が伝えている。

西日本の人たちの苦難を思う2008/03/03 22:01:24

春を思わせる暖かさ。
けれど九州から東北にかけて、中国から飛来してきた黄砂と呼ばれる砂ほこりが覆った。東京でも都心部で視界が悪くなったところもあったという。
九州・福岡では花粉症を悪化させるなどの影響が問題視されている。
5月まで続くというこの黄砂。西日本の人たちの苦しみ悩みに思いをはせたい。

親近感を抱くとしても2008/03/04 22:04:16

日本時間で明日、テキサス州・オハイオ州などで大統領指名候補を決める、民主党の予備選挙がある。民主党の指名争いで激戦を続けているのが、ヒラリー・クリントン氏と争っているバラク・オバマ氏。本名はバラク・オサマ・オバマだという。
このオバマ氏と「オ・バ・マ」という同音の縁で勝手に盛り上がっているのが、なんと福井県小浜市。オバマバーガーだの、オバマの名を冠した食品をつくったり、市民有志が「オバマ候補を勝手に応援する会」をつくったり。村上利夫・小浜市長の親書と同市の伝統産業である、若狭塗箸を添えて贈るなど、いやはや勝手に盛り上がっているらしい。他国の選挙だというのに。
オバマという縁で世界的に知られるようになり、各国から報道陣が取材に来ているのだそうだ。

しかしどうだろう。わたしはこういう話を面白いともユーモアだとも思わない。むしろ冷めた目で見ている。
民主党の大統領指名争いというだけであって、まだ党の候補に決まったわけではないし、もちろん大統領になったわけでもない。
肝心なことは、アメリカ大統領というのは世界を左右するほどの強大な権力者であるということだ。少なくとも世界でトップの軍事力を持った国の最高指導者であり、陸・海・空・海兵隊・宇宙軍の最高司令官であるのだ。
そういった立場になるかもしれない人物を、名前つながりで応援するというのはおかしいとしか思えない。

もし百歩譲ってオバマが民主党の大統領候補になったとしよう。来年ある大統領就任式で宣誓する、新しい大統領になったとしよう。
行政実績も指導力も、未知数の部分が多いのだ。そんなバラク・オバマ氏が一国どころか世界を変えるかもしれないという立場になったとき、はたして他国である日本の、しかも小浜市の市民が、どれだけ責任を持てるだろう。政治家を応援するというのはそれほどの重いものなのではないだろうか。タレントやスポーツ選手を応援するのとはわけが違う。

たとえ名前の音つながりで親近感を抱くとしても、そこまでにとどめておくべきではないだろうか。

報道に来ている各国の取材陣はどう思っているのだろう。

言霊2008/03/05 21:42:43

昔は「なるほど」と思っていても本心から、あるいは根底から信じていなかったものがある。そのひとつが「言霊」だ。

たいへんだ、という言葉を口にしないようにしたい。
といっても、まったく言わなかったり絶対に言わない、と決めつけるのもどうかと思う。
しかし、たいへんだたいへんだ、と言ってばかりでは周囲のわたしをみる目も、わたしが周囲に与える印象も悪くネガティブなものになってしまう。それだけではなく、わたし自身の気持ちも重苦しくほんとうにつらいものになってしまう。

たいへんだ、ということを思いつつ、いまの試練や苦しみが永遠に続くわけではないこと、そのさきにきっといいことがあると信じよう。

いまの試練や苦しみは、自分を乗り越え成熟させるきっかけになるのだと。

自転車こわい2008/03/06 23:53:46

「饅頭こわい」にひっかけたのだが、いや、わたしは自転車はこわくない。乗るのは好きだし、暖かくなったらちょっと遠出してみたいと思う。

以前にも書いたけれど、歩道を後ろから走ってこられるのがこわい。
前と後に子どもを乗せて3人乗りするのを見るとハラハラする。転倒したらどうするんだと気になって仕方がない。

自転車はそもそも道路交通法では車道を走ることになっている。
けれど車のドライバーに聞くと、小回りがきくからどこからいきなり出てくるか分からず、不安でこわいのだそうだ。自転車も、車との衝突事故には遭いたくないから、歩道を走る。そして難聴者やろう者、目の見えない人たち、お年寄りやベビーカーを連れた親子などが危ないこわいという思いをする。要するにしわ寄せが弱者に、もろにかぶってくるのだ。

その、自転車3人乗りは、警察が許可しない方向でいたものだが、母親から「どうしても必要だ」という声や意見、要求が多数寄せられ、専門家や自転車メーカーに、安全性の高い自転車3人乗りに適した自転車の開発と製造が可能かどうか意見を聞き、可能であるならばと言う前提で、自転車3人乗りを認めるらしい。

先日テレビで見たのは、前方が2輪。後方が1輪で、車輪を小さく、重心を低くとったものだそうだ。
しかし、前方を2輪にすることで幅が広くなってしまい、狭い歩道では走れないという問題も出てくるのではないか。

歩行者も車も自転車も、安心していられることを望むのは無理なのだろうか?

不安と期待が交錯する思いだ2008/03/07 00:05:54

仕事が終わってから有楽町へ出かけてきた。
のんびりとまではいかないが、週末の人混みと喧噪の中を歩いてきた。
来週、目の検査があり、再来週には手術を迎える。
不安と期待が交錯する思いだ。

昔への郷愁2008/03/08 16:00:47

手話サークルの活動日。今日はいつもより参加者が少なくてさびしい日だった。

活動日は月2回。今日は講師の指導ではなく、メンバーの担当による学習会だった。テーマは「川柳を手話で表現してみよう!」。

前半はプロの作者による川柳をランダムに選んで表現してみた。
とらえ方や表現によってまちまちだったけれど、どれが正解というものではない。異なった理解を、価値観を共有するのが目的である。

後半は各自がつくった川柳を手話で表現したあとに、ホワイトボードに川柳を書いてみた。
わたしは計4つつくってみた。

      小説は 昔新聞 今ケータイ

      ギョーザには 何でも入るか 農薬も

      自転車が そこのけそこのけ わが物顔で

      改札で はさみなくなり 懐かしむ

ひとつ目は小説を読む話。
夏目漱石を持ち出すまでもなく、昔から新聞に連載されて人気を集めた小説がたくさんある。今でも忘れられない新聞小説は、井上ひさしさんの「偽原始人」という作品だ。いま読むことができるのだろうか。受験戦争をテーマにしながら、冷ややかに皮肉を込めた作品だったと記憶している。
しかしいまは、新聞ではなく携帯電話で書かれた小説が売れる時代だ。

ふたつ目は冷凍ギョーザに農薬などが入っていた事件。
子どもの好きなギョーザが食べられない、大きな事件だが、何でもありというには度が過ぎていないだろうか。

自転車をとりあげた三つ目は先日のここでも書いたとおり。

サークルでは最後の4つ目だけを取り上げた。
昔、帰省した折りにホッとしたのは駅の改札口で駅員さんが差し出すはさみだ。切符にはさみを入れてもらう。そのときにあいさつをされたりしたりしたことがある。朝出勤時だったら「行ってらっしゃい」、帰ってきたら「お疲れさまでした」というように。
ところがいまはICカードを読み取り機にかざしたりタッチしたりする。便利だと言えば便利だけれど、ぬくもりというか温かみがない。
鉄道ファンなら、改札のはさみひとつとっても入れ方や切り口の形状が駅や路線ごとに違っていて、はさみを入れられた切符を集めるのも楽しみだったはずだ。
そういう昔への郷愁をこめてつくったのだが。

みなさんから、若いのに古いテーマを持ち出す、古いことをよく知っている、と言葉をいただいた。う~ん。

でも昔への郷愁というものを、ホント大切にしたいと思う。
午前中に知人と会ったのだけれど、彼女もMDやCDまではわかるけど、携帯で音楽をダウンロードしたり聴いたりするというのがわからないと言っていた。同感である。

昔の歌を手話で2008/03/09 23:36:59

昨日の手話サークルからの帰りに、ふと懐かしい歌を手話でやってみたくなった。
好きな歌というとわたしは中島みゆきの「時代」がそのひとつだ。

言葉と曲がぴったり合っていてなおかつ、言葉のもつ、「伝えたい力」が伝わってくる。これでもかこれでもか、と言わんばかりではなく、静かにしかし力強く訴えてくるもの。

そういう歌が未来にまで長く歌われるのだろうと思う。

聴力が悪化した2008/03/10 23:10:10

所用のため早朝から都内の病院に行き、聴力検査を受けてきた。あわせて同じ病院で心理カウンセリングの予約も入れてきた。

右は100デシベル。左は測定不能という数値結果が出た。一般の聴力検査で用いられる機械、オーディオメーターでは、測定不能が110~130デシベルと言われる。
3年前に検査を受けたのが最近のデータだが、その3年前に聞こえていたレベルが聞こえていないのではないか。つまり3年前より悪い状態の可能性がある、という。

医師によると、このデータからは「人工内耳」レベルだという。生活もたいへんではないかと。わたしの話しぶりや言葉などから脳はしっかりしており若いうちに補聴器を併用使用して人工内耳をすすめたい、ということもおっしゃられた。
今後の対応としては、いろいろな補聴器を着けてどこまで聞こえが改善されるか試してみたい。いま使っているものでどの程度まで聞こえるかのテストを行う。いま使っているものはアナログ補聴器だがデジタル補聴器よりも性能が優れているのだそうだ。

……とまで説明を聞いて、顔には出さなかったけど内心ショックだった。
目の斜視手術が迫っていることもあり、将来にとても不安を感じたのはいうまでもない。目が失敗して、耳も聞こえが悪くなったらどうしよう。

しかし何人からから、きっと治るから、よくなることを信じていこう、と励ましのメールをいただいた。

仕事中、目と耳の不安と悩みを振り切っていたつもりだったけど、やはり時々は不安にかられる。

もしこのさきがどうなるにしても、前向きになろう。
どんな境遇になったとしても、生きていくことが大事であり生きていくことできっと光と道筋が見えると信じて。