未来ではなく過去から2008/02/04 23:31:51

NFLの2007年シーズンチャンピオンを決める、第42回スーパーボウル、ニューイングランド・ペイトリオッツ対ニューヨーク・ジャイアンツ。
前半の低いスコアから一転二転、第2クオーターにリードしたニューイングランドの攻撃を抑えた第4クオーターで再逆転したニューヨークが攻守をしのぎきって、17-14で勝利。シーズン通して無敗をめざしたニューイングランドの野望を打ち砕いた。
最高の結果である。

さて。ようやく帰っていま、これを書いている。
仕事が終わってからの2時間、要約筆記者を同伴して「認知療法」についての社内向け講演会を聴くことができた。

一口で言うなら、自分の思考方法のずれゆがみを直していく、ということだがなかなか自分の思考パターンや日々のできごとの受け止め方のずれやゆがみは直せない。人のことは理解したり批判したりできるかもしれないが、自分のそれは直視しにくいということかもしれない。
だが、書いてみること。たとえば職場の上司とそりが合わない。仕事に失敗した。そういうとき過去にどうしたか。どうやって克服したかしなかったか。自分の歩みといまの思いを書いてみることで、内観につながるのではないだろうか。

もうひとつ感じたこと。
今回の講演会は社内向けであることは何度も書いたが、さらに言ってしまうと、聞こえないのはわたしだけなのである。難聴者が聞こえる人とコミュニケーションをとるとき、聞こえない、聞こえなかったことをすなおに言えなかったり言わなかったりすることがある。「ここで言ったらとんちんかんな結果になるのではないか」「相手にいやな思いをさせてしまうのではないか」などと、先を読んでしまうのだ。先を読むというとまるでいまはやりのKY(空気を読む)ではないが、ついつい場に合わせようと無理をすることでもある。それがますます自分を苦しめてしまう。
正直に書くと、わたしは幼少時に聞こえなくなってからずっと聞こえる人の中で育ってきた。教会でも学校でも家庭でも。社会に出てからもそう。そのなかで聞こえる人に合わせようと、着慣れない服を着て自分を抑えて、聞こえなくても相手に合わせようとしてきたのだ。多数者である、聞こえる人ばかりの中で。
講演会の中で「上司や職場の人に、抱えている問題やトラブルがあっても言えない」という状況設定があった。聞こえないわたしにも直面する問題である。
今回の講演会は多数者である聞こえる人向けであったかもしれない。社内の少数者である障碍者、難聴者にはこの「認知療法」はどう取り組んだらよいのだろう。どうしたら苦痛を感じることなく、仕事ができスムーズに過ごせるだろう。そんな問いを感じたのであった。

仕事の中でこんな言葉に出会った。スティーブ・ジョブズの言葉。
「未来に先回りして点と点をつなげて見ることはできない。できるのは過去を振り返ってつなげる事だけ。
バラバラの点であっても将来それが何らかの形で必ずつながっていく」
いまあるのは過去のできごとがあったから。つらく苦しいこと、うれしく飛び上がりたくなることの積み重ね、蓄積があるからなのだ。
いいことも悪いこともあったし、これからもそうだろうけれど、きっと未来には幸せが。生きていてよかったと叫びたくなるときがきっとくる。
また明日から、明日という一日を結びつなげていこう。幸せな未来のために。