変化したい2008/02/03 21:05:16

昨晩ニュースの天気予報を見て、今日の気温が3度とあったのには「おや?」と思ったものだが、けさ起きてみていやぁビックリプトン(意味わかる? 笑)。出がけにカメラで撮影した中から一枚をアップする。これくらいの雪はわたしの故郷ならあたりまえの話で大騒ぎすることもないのだけれど、内地の人にはやっぱり大事だろうね。ニュースでは青梅で開催予定だった青梅マラソンが中止になった。12年ぶりのことだという。予備日を設けていなかったから中止と決まったという。同じようにわたしの教会のある街でも、今日、マラソンを開催する予定だった。が、見ての通りの状況では実施できるはずもなく、中止が決まったらしい。

さて今日は、ルカによる福音書を学んだ。22章1~30節である。
礼拝後の学習会で、輪読するつもりだったのが、わたしだけが文語体聖書を使用しているために続かないと、この文語体聖書の同個所をわたしだけで読んだ。以前にも書いたけれど、現代日本語も悪くないが、格調高い文語体聖書を読むと、シャンと身が引き締まる思いがする。

もうすぐ「灰の水曜日」にはいる。
福音書を読んでいて、イエスの弟子たちが師であるイエスをどう理解していたか、師の言葉をどう受けとめていたか、最後の最後に晩さんをともにするときになっても、弟子たちはイエスの言葉を都合よく、あるいは自分たちの願望のためにしか受け取り理解していなかったふしがある。

『この酒杯は。汝らの爲に流す我が血によりて立つる新しき契約なり。されど観よ、我を賣る者の手、われと共に食卓の上にあり、實に人の子は定められたる如く逝くなり。されど之を賣る者は禍害(わざはひ)なるかな』
                                (20~22節)

これを聴いたとき、弟子たちはいったいなにを言っているのかわからず、ひょっとしたらボカンと口を開けていただけかもしれない。ユダヤ民族にとって重要な過越の祭のときだというのに、この人はいったいなにを言っているのだろう。そんな気持ちだったかもしれない。

やがてイエスが処刑され、弟子たちはてんでバラバラに離散してしまった。自分たちもローマ帝国に反逆したとして逮捕されるのを恐れた。
だが、そんな彼らが再び集まり、キリスト教を伝えていく。

今日の集まりでわたしは、「変化したい」と言った。
弟子たちほどではないにしても、自分が変化したい。変わり成長していきたいと。
だがまだまだ未熟至らない者である。

自分の方向が間違いなく正しく確信を抱いていれば、自然とおのずと向こうから扉を開くように、変化が訪れてくるのだろう。
しっかり焦らずにまた明日からの歩みを続けていこう。