あたりまえのことをあたりまえと感じられること2008/01/05 23:50:26

モータースポーツというとわたしはどちらかというと、インディ500やF1といった、箱形ボディではなく、オープンホイールのフォーミュラーカーのレースが好きである。実際に観戦した経験が一度もないけれど、300キロ以上の常人では経験できないスピードで走る世界にひかれるのだ。

だがもうひとつ、ラリーも捨てがたい魅力があるのだろう。
そのひとつ、パリとダカールのあいだを走る、俗に「パリ・ダカ」と呼ばれるラリーレースは、年明けから話題になることが多い。
その「パリ・ダカ」レースが今年は政情や治安の不安から中止になるという報道があった。いままでも危険なことは何度もあったし、いのちを落とした人もいる。だが今回はアルカイダなどの国際テロ組織がテロを狙っているという。昨年フランス政府がリビアのカダフィ大佐を招いたこともあり、フランス政府の政策、ひいては欧州に対するテロというねらいがあるのだろうというのがもっぱらの見方だ。
直後になって「パリ・ダカ」の主催者が危険ルートのひとつ、サハラ砂漠を走らないと発言したという。だが砂漠を走るのがこのレースのポイントでありだいご味である。まして何度も現地を走ったことのあるドライバーなら、危険を冒してでも走行したいと思うに違いない。

なぜテロなのか。何でテロを起こさなければならないのか。テロをやっている場合か。
イスラム過激派には彼らなりの言い分がある。宗教的立場があり、イスラムに反する者への対抗としてテロを正当化する意見がイスラム教内にある。
けれどどう考えてもわたしはテロを容認できないし正当化も許されないと思う。

ひるがえって日本。
銃乱射事件などがあって体感治安が悪くなっているとはいえ、テロなどの脅威は身近には感じられない。まして国際テロ組織など、遠い世界の話と思うのだろう。
夏には北京五輪があり、アメリカ大統領選挙もある。いつどんな出来事が起きてもおかしくないのが、2008年の世界である。

今日も地下鉄車内は帰省から戻った人たちで混み始めていた。
帰省を楽しむ人たちがいる一方で遠い世界ではテロがある。
テロがなければカーレースが無事にひらかれる。テロを憎む。
あたりまえに平穏な生活をおくることのできる幸せを喜び、テロには断固としていかなる理由があろうともわたしは拒否する。
スポーツも手話も朗読も手話ソングダンスも、テロがあったら楽しむことも表現することもできないのだから。