人のこころの痛みを知らないのだろうか2007/10/02 23:28:47

中学から高校時代にかけてわたしはいじめにあった経験がある。
といってもいまの子どもたちのそれとは違うのだろうね。いまのほうがより陰湿でたちの悪いものだときくが。

体育系部活動の経験がないのだが、そこには経験した人にしかわからない世界があるのだろう。しごきがあったり、先輩から往復ビンタや殴られたという経験をもつ方もいらっしゃるだろう。そういった痛みをとおしてチームの連帯感、人間関係を育てていくという理屈論理も、わからないではない。

とここまで書いてきて察しのつく方はすぐにわかるだろう。大相撲の名門部屋で入門3カ月の少年が暴力にあい、いのちを落としたというニュースだ。
新聞テレビなどの報道では、当初「けいこによる」と言っていたのが、ビール瓶でたたいた、暴行後の異変に気づいたにもかかわらず、部屋の親方がすぐに救急車を呼ばなかった、事件が公になってから、弟子に口止めをした、など伝えられ、写真週刊誌でも相撲部屋のしごきの実態について取り上げられたり相撲の人気低下につながるのではないかという声があったり(実際今回の事件の影響だろう、新弟子が集まらないという)社会問題になっている。

わたしも先輩から殴られた経験がある。また買い物の使い走りをさせられたこともある。最上級生になってから「後輩にしめしをつけろ」と、下級生に暴力をふるうことをすすめられたこともある。いまだからいうと、いささかカチンときて怒鳴りつけたことはあったけれど、理不尽な暴力はけっしてしなかったし、使い走りを命じたこともない。ま、からだが小さいし耳が不自由だから、下級生から見れば、先輩として迫力もないと思われたかもしれないけれど。でもそんな、威圧するだけの先輩面なんてしたくないし、無理やり先輩面をしても薄っぺらだと思うんだけどね。

旧日本軍、海軍予科練と陸軍の新兵に対する暴力は、経験者の話をきくといまの相撲部屋、学校のいじめの比ではなかったらしい。米軍でも、新兵に対するいじめや暴力は時折ニュースになる。いま話題の「ビリー・ブートキャンプ」も、もともとBootcampの意味は新兵教育であり、厳しい規律とトレーニングを課して鍛え上げられた軍人になるためのプログラムである。だからだろうか、あのプログラムを始めてまもなくはもつけれど、次第に厳しさについていけなくなって、やめたりあきらめたりする人が多いらしいね。「ビリー・ブートキャンプ」をお持ちの方で最後まで続いた方がいらっしゃいますか? 続けてみていかがでしたか?

でも、殴るけるというのは、殴る側も痛みを覚悟していなければ、ただの残酷な暴力でしかない。昔オヤジから思いっきり殴られたことがある。だが、そこにはきちんとした理由があった。わたしが悪いことをしたから、正しくないことをしたから怒られたのであり、殴る方も痛かったに違いない。本当はやりたくなかっただろう。なぜなら家族だから。あのころは憎たらしかった(笑)けれどいまは懐かしささえ感じるほどだ。それは理不尽な暴力ではなく、愛情があったことを感じているから。年をとった家族を見ていると、長く生きてほしいなといたわってあげたいとつくづく思う。

殴るけるという痛み。家族でさえとてもいやな思いをする。まして他人のからだを傷つけるというのは、どんなに苦しいことだろう。
理不尽な暴力と愛のこもったしつけとの見えない一線をみつめながら、昨今平気で人のいのちをあやめたり傷つけたりする事件を見聞きするにつれ、人のこころの痛みを知らないのだろうかと、暗たんたる思いにかられる。

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