聞くは一時の恥2007/08/11 23:48:59

暑さに負けたのか、お昼過ぎまで休んで、昼食と朝食を一緒にしたような食事から一日がスタートした。
デジカメはやはり教わるよりは慣れた方がいいのだろうね。そうは言っても誤操作や思うように作動しないなどがあって、専門家に聞くのも必要。「聞くは一時の恥」。「聞かぬより知ったかぶりが恥」。

朗読台本と自己紹介文を会の主催者宛に送ってあとは練習だけ。

明日も一日暑いようだ。

22年目の夏2007/08/12 23:46:20

♪見上げてごらん 夜の星を 

あれからもう22年になるのか。1985年8月12日、日本航空ジャンボ機123便が群馬県御巣鷹山中に墜落。520人の貴いいのちが失われた。単独機による事故としては最悪の犠牲者だった。

当時大学生だったわたしは、帰宅してからテレビで事故を知った記憶がある。まだ聞こえていた耳にイヤホンを付けてNHKラジオが夜を通してニュースを伝える。搭乗客の中に坂本九さんなど著名人の名前もあることが分かった。墜落場所がどこなのか錯綜して判明しない。イヤホンを通して聞こえる、臨時ニュースから、時間とともに悲しい知らせが少しずつ、次第にはっきり伝えられてきた。そして翌日。マスコミ各社の飛行機からカメラマンが写した衝撃的な映像。自衛隊のヘリコプターに引き揚げられた、奇跡的な生存者。地獄とまごうばかりの地上の惨状と重ね合わせてなんとも言いようのない思いをいまでも覚えている。

あれから22年。残念なことに航空機事故は起こり、先日もブラジルで大事故があったばかりである。

今日、教会から帰って間を置いて、また羽田空港へ足を伸ばして、航空写真を何枚も撮影してきた。今回は今年春に購入した望遠レンズも使ってみた。すると、空港へ着陸する直前の飛行中の機体をみることができた。遠くからでもどこのエアラインなのか、ランディングギアを出して着陸態勢にはいっていることまではっきり見える。

パイロットの話では、離着陸のそれぞれ15分間が一番緊張する「魔の時間帯」と呼ぶのだそうだ。ここでもし事故やトラブルが起きたら取り返しがつかない。離陸時には機体が浮き上がり飛ぶために猛スピードで滑走、エンジンも最大限の出力を出している。着陸時もやはり安全な着陸のためにエンジンパワーを制御しなければならない。

空港の展望デッキで子どもたちがはしゃぎ回っている。航空写真を撮影して、22年前の夏に起きた、あの大惨事を、失われた540人のいのちと御遺族の方々の悲しみ苦しみを深く思う。同時に、あらためて大きな鉄のかたまりであるこれらの航空機が無事に飛び立ち帰ってくることを祈らずにはいられない。

♪ぼくらのように 名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる

悲しむことのないように。事故を起こしてはならない。
今日は「航空安全の日」でもある。

一粒の麦が死んでもなお実を結ぶような2007/08/13 23:50:11

ちょっとつらいことがあったからといって、それで人生が決まるわけでも終わったわけでもない。

悔しいこときついこと、人生にはいろいろある。そのできごとさえもが自分を成長させ強くさせてくれる。
本当の強さは、力ではなく、力や能力を誇ることでもない。
逆境にあってもなお、顔を上げて天を仰ぎみることができる。それが強さなのだ。

からだのマッチョさではなく、一粒の麦が死んでもなお実を結ぶような。
そんな人生を生きたい。

なにくそと思いながら2007/08/14 23:26:35

仕事がうまくいかないなどというのは長く仕事をしていれば、一度や二度、誰でも経験があることだろう。そんなとき上司や部下、あるいは同僚と一杯のめたらいいのかもしれないけれど、まったくお酒もたばこもだめなわたし、ましてコミュニケーションがスムーズにいかない難聴であれば、誘ったり誘われたりすることがほとんどない。

今日は仕事でのもやもやした沈んだ気分を解消するために、卓球の練習に行ってきた。こちらのほうがわたしには合っているように思える。のめない酒を無理をして付き合いたばこの煙を吸ってからだをこわすよりは。

努力しても報われない。認められない。正しく評価されない。
そんなことはしょっちゅうだと思った方がいい。
そういうとき、まず人間関係。ついでやり方や方法。最後に仕事そのもの。わたしたちはそうやって責任を誰かや何かに転嫁したり押しつけたりして自分を正当化しがちである。だが、まずやらなければならないのは周囲でも仕事でもなく、自分の発想や考え方を変えること。と言っても妥協しろ、と言うのではない。ここまでは譲れない納得できないという基本線を持ちつつ、周囲にも同じように基本線があるのだから、相対化してみること。

いまのきつい、しんどいと考えたくなる厳しい状況は、永遠未来永劫まで続くわけではない。
しっかり上を見上げて日々、目標なり目指したいことを見失わないでいれば、いつかどこかで誰かが見ているよ。

だからあきらめない。あきらめてはいけない。なにくそと思いながら自分に負けない。

Never Give Up

この日を忘れない2007/08/15 23:44:18

帰りがけにビルのすき間から見えた東京タワーを撮影してきた。

62年前の東京は、こんな高層ビルが建つなんて想像できないほど、辺り一面が焼け野原だった。荒廃した風景から、一歩一歩ゆっくり歩き出して、次第に街が復興をみせはじめ、完成当時はシンボルだった東京タワーを超す超高層ビルがいくつも建ち並んだ。

「アンネの日記」を何度も暗誦して読み返している。

混乱と惨禍と死という土台の上に将来の展望を見いだすことはできない、とアンネは書いた。そしていつの日かすべてが正常に復し、静かな平和が戻ってくるだろうとも。

ドレスデンに行ったら、昨年完成したという、聖フラウエン教会を撮影してきたい。敵味方がともに手を取り合い、がれきの一つひとつを組み合わせるようにして再建されたという。先端に立つ十字架は、1945年2月13日のドレスデン大空襲に参加したイギリス空軍パイロットのご子息の手になるという。

だが、どんなに美辞麗句をいかに尽くしても、やはり戦争は美化できない。
頭上を飛ぶ爆撃機を操縦し爆弾を投下する兵士が敵だと理解できても、彼ら爆撃機のパイロットには、燃えさかる炎の中で逃げまどう人々も同じ人間だとは理解できなかった、あるいはその炎の中で苦しむことに思いが及ばなかったかもしれない。大量殺りくは、人間としての良心も感性もまひさせる。

この日を忘れない。
そしてどんな理由があろうとも、戦争はけっして美しくなんかないのだと。

昨今の災害に思う2007/08/16 23:35:34

今日は各地で気温が上がり、多治見や熊谷では40℃という気温を記録したという。74年ぶりの最高気温更新だそうだ。ビール好きの人にはたまらないだろうが、暑さがひどすぎるとかえって外に出たくない気持ちにさせられることもある。こんななかで外に出て働いている人たちのからだの健康を思う。熱中症で倒れることのないことを祈りたい。

まもなく日付が変わろうとしているが、今日午前(日本時間。現地時間で15日午後)南米ペルーで強い地震が発生した。死者数は、少なくとも337人に上ったと同国当局が16日、発表した。負傷者も827人以上に増えているという。

発生から1カ月になる、中越沖地震だが、風評被害のために観光客が減る
などさまざまな問題が起きる一方、仮設住宅に入居する人もいる。だが完全に生活のリズムが戻ったわけではなく、時間が地震発生の前に戻るわけではない。復興と簡単に言うけれど、被災者の人たちの苦しみを思うとなんともやりきれない。

東京だったらどうだろう。
大都会ゆえに被害が甚大なものになるだろう。一番こわいのは、隣近所のつきあいがないために、救助が得られるかどうか。

防災とあわせて、地域作り、ネットワーク作りが課題であると思うが、どうだろうか。

大きなことではなく小さなことに目を向けると2007/08/17 23:32:54

アメリカンフットボールの試合写真、花などのスケッチ写真、航空写真に次いで、たまにきれいな夕焼けや雲にこころ動かされてカメラを向けるようになった。夕焼け雲や朝の雲。雲の写真は一瞬として同じではない。一瞬ごとに姿を変え、光も変わってくる。そういう一瞬一瞬を切り取ってみると、本当に一瞬が無駄ではないな、無駄にしたくないなという気持ちにかられる。
実際には毎日毎日同じことの繰りかえしのような気もするけれど、そうではなく、こころと気持ちのありよういかんによって一瞬は良くなったり悪くなったりするのだ。

たしかに聞こえないけれど普通に話せる。そのギャップから孤独におかれることばかりだ。孤独になっているとますます自分のこころが内に向かってばかりで苦痛になる。おしゃべりして過ごしたいのではなく、普通の人と同じように気持ちを通わせるコミュニケーションがしたいということなのだけど。

大きなことではなく小さなことに目を向けると、いままでつらいとしか思っていなかったことがたいしたことではないとさえ思える。

行きつけのお店で店員さんとしばし会話を交わすことができた。聞き取れなくて筆談をして、と頼んだらメモを渡してくれたのである。そこから新たな話題が広がり、楽しい会話がはずんだ。

ちゃんと楽しいこと、よかったと感じることがあるのだ、生きていればきっと。

少々驚いている2007/08/18 23:59:39

朗読で取り上げるテキストが「アンネの日記」であることはすでに何度もここに書いた。そのあとで災害時に、地域やコミュニティー作りが課題ではないだろうかと書いた。

「アンネの日記」で知られるように、アンネ・フランクは1942年7月8日から1944年8月4日にナチス・ゲシュタポに発見されるまでおよそ2年あまりをオランダ・アムステルダム市プリンセンフラハト263番地の隠れ家で過ごした。
この隠れ家での生活はどんなものだっただろう。地域作り、コミュニティー作りなどというものではない。外に出ればユダヤ人であることを表す六芒星形の黄色い星印をいつも目につくようにつけることを強制された。
隠れ家の中でしか生きられない。しかも住人はアンネの家族だけではない。赤の他人家族であるファン・ペステル一家、フリッツ・プフェファーという男性。当然好き嫌いがあり、いさかいがあったことが日記から読み取れる。
1942年9月28日の日記補足に、アンネがこう書いている。「ぜったいに外に出られないってこと、それがどれだけ息苦しいものか、とても言葉には言い表せません。でも反面、見つかって、銃殺されるというのも、やはりとても恐ろしい。こういう見通しがあまりうれしいものじゃないのはもちろんのことです」。これからおよそ2年後の1944年7月15日の日記では――。「いつかはすべてが正常に復し、いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界が戻ってくるだろう、と」

アンネのそれにくらべてわたしたちは――などというつもりはない。
ただひとつ、隣近所同士のあいさつさえゆるされない、物音一つ立てることのできない極限状態ではなく、わたしたちが真にお互いを思いやり、いたわりあうことができる状況に生かされていること。それは間違いないことである。
隣近所が何をしているか、のぞき込むのではない。ごく普通にあたりまえに、あいさつを交わすこと。
ごく小さなことから、地域やコミュニティーを作り直すことができるのではないだろうか。

ペルーで起きた大地震では、給水機能がないために水を求める人たちが多いと伝えられている。その一方で、略奪や強盗が相次ぎ、治安が悪化しているという。東京でもし大地震が起きたらどうなるだろう。

「アンネの日記」を朗読すると決めて、こうしてアンネの過ごした日々を想起し、みなさんからのコメントを拝読してさらにコミュニティーとは、人間関係とはということを考えさせられた。意識したわけでも予想したわけでもないが、思いがけない展開に、少々驚いている。

高齢者と手話2007/08/19 22:59:11

今日も西日本は暑い天気だったようだ。東京は夜に入って少し和らいだような気もしないではないが、天気ニュースを見ると33℃とある、う、変わりないでしょ。

教会から帰る途中のバス停で、上空を飛ぶ旅客機を撮影していた。といってもたかが200㍉のレンズではとてもじゃないが機体ははっきりみえない。が、教会のある市部はちょうど羽田空港への入口にあたり、昔住んでいたときは低空で飛来した旅客機の翼にあった機体番号まではっきりみえたほどだ。

そのバス停で面識のない、高齢の婦人から声をかけられた。
補聴器を見て難聴者だと気づいたらしく「あなたは手話ができるのですか?」と聞かれたのである。
うかがうと、その方も耳が不自由だそうで補聴器を着けていらっしゃる。手話ができるとのことで、しばし手話でおしゃべりを交わすことができた。とてもたのしいひととき。

高齢になってから耳が聞こえなくなると、その不安はたいへんなものであろうと察する。
手話を身につけては? とおすすめしても「いまさらこの年齢では、無理ですよ」「手話を覚えても、使う相手がいません」という返事がかえってくることが多い。高齢者にとって手話は必要だとはわかる一方、年齢からくる障碍の受容という問題とからんで、微妙な難しいものである。

昨日地域の難聴者の会で「ボケ防止」と冗談を言いながら手指の運動をしたが、手話もゆっくりでいいから手指を動かすことで、脳に刺激を与える効果がある。アメリカ手話と日本語の手話で数字を表す訓練など、脳にどんどん刺激がはいっていいのではないかと思っているほどだ。
ともあれ、たしかに難しい問題ではあるけれど、高齢者と手話というのはこれから重要になってくるのではないだろうか。

あってはならない事故2007/08/20 23:15:51

お盆の休みが終わり(といってもわたしの夏休みはまだなのだけど)、地下鉄車内もいつものように混雑するようになった。
そんな週明けの今日、また驚かされる事故で午前中からテレビ画面にくぎ付けになった方も多いと思う。

台湾から沖縄に向かって飛んできた、中華航空のボーイング737型機が着陸後に炎上したのである。中華航空というと名古屋空港で同航空のエアバスA300型機が、コンピューターの指示とパイロットの操作が相反し、離陸の自動操縦モードになっているのにパイロットたちは降下させようとしたために失速して着陸に失敗、264名が亡くなるという大事故を思い出す。

しかし今回の事故は機体がほとんど全焼する火災を起こしたのに、ひとりの人命も失われることがなかった。奇跡的なことだと思う。原因としては、着陸前か着陸後に燃料が漏れて引火したのではないかと、これを書いている現時点では伝えられている。
以前にも書いたように、旅客機の飛行では、離陸と着陸のそれぞれ15分間が一番危険な時間帯だと言われているという。一瞬の差で乗客を誘導できたのか、乗員の事故対応がどうだったのかわからないけれど、わたしだったらどこまで冷静に行動できたか、自信がない。

別の報道によると、米連邦航空局が「90秒ルール」というものを制定しているという。「90秒ルール」は、機内の全非常用脱出口の半数以内を使って90秒以内に、乗員・乗客全員が脱出できるような機体の設計を航空機メーカーに求めているものといい、欧州各国や日本も準じたルールを取り入れている。ではなぜ「半数」か。全部の脱出口が使えればよいが、一部しか使えない場合が想定されるからだという。今回の事故は90秒以内に脱出ができたことが、奇跡的な全員生還につながったといえるのではないだろうか。

ともあれ、楽しいはずの旅行が一転してとんでもないことになった。
事故に乗り合わせた方々が、帰りの旅では楽しい思い出をつくってもらいたいと思わずにはいられない。