高齢者と手話2007/08/19 22:59:11

今日も西日本は暑い天気だったようだ。東京は夜に入って少し和らいだような気もしないではないが、天気ニュースを見ると33℃とある、う、変わりないでしょ。

教会から帰る途中のバス停で、上空を飛ぶ旅客機を撮影していた。といってもたかが200㍉のレンズではとてもじゃないが機体ははっきりみえない。が、教会のある市部はちょうど羽田空港への入口にあたり、昔住んでいたときは低空で飛来した旅客機の翼にあった機体番号まではっきりみえたほどだ。

そのバス停で面識のない、高齢の婦人から声をかけられた。
補聴器を見て難聴者だと気づいたらしく「あなたは手話ができるのですか?」と聞かれたのである。
うかがうと、その方も耳が不自由だそうで補聴器を着けていらっしゃる。手話ができるとのことで、しばし手話でおしゃべりを交わすことができた。とてもたのしいひととき。

高齢になってから耳が聞こえなくなると、その不安はたいへんなものであろうと察する。
手話を身につけては? とおすすめしても「いまさらこの年齢では、無理ですよ」「手話を覚えても、使う相手がいません」という返事がかえってくることが多い。高齢者にとって手話は必要だとはわかる一方、年齢からくる障碍の受容という問題とからんで、微妙な難しいものである。

昨日地域の難聴者の会で「ボケ防止」と冗談を言いながら手指の運動をしたが、手話もゆっくりでいいから手指を動かすことで、脳に刺激を与える効果がある。アメリカ手話と日本語の手話で数字を表す訓練など、脳にどんどん刺激がはいっていいのではないかと思っているほどだ。
ともあれ、たしかに難しい問題ではあるけれど、高齢者と手話というのはこれから重要になってくるのではないだろうか。