62年たったいまもなお なぜ?2007/08/06 23:22:48

週があけたと思ったら、また早々にとんでもないニュースがはいってきた。

ホームレス「死んでもいい」 殺人未遂容疑の少年ら
http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200708060137.html?ref=button

高校生ら5人、殺人未遂容疑 寝ていた男性に火を付ける
http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200708060090.html?ref=button

東京都北区赤羽の公園のベンチで寝ていた男性を、少年5人が襲い、腹部に火をつけて殺そうとしたという事件である。

記事によれば、リーダー格であるタイル工の少年は「乞食は最低で、世の中の役に立っていないから、犬猫と一緒。汚くて街に迷惑をかけており、死ぬのを待っているだけ。死んでも仕方がない」と話している。ほかの少年4人は「火をつけて乞食をいじめたかった」「怒って追いかけてくるのがおもしろかった」と話しているという。

「乞食は最低で、世の中の役に立っていないから、犬猫と一緒。汚くて街に迷惑をかけており、死ぬのを待っているだけ。死んでも仕方がない」という発言が事実だとしたら、まったく言語道断。彼らの言動にはまったく理解できない。

犬猫と一緒というが、犬猫にもそれなりの生きる意味があり、価値がある。役に立っているかいないかが問題ではない。
一番怒りを覚えるのは、自分を上位においてあたかも絶対的存在あるいは優越者であるかのようにふるまい、自分以外は価値がない、という発想である。誰が「死んでも仕方がない」という判決を下す資格があるだろう。誰にもない。もちろんわたしにもない。この少年にもないのは当然である。

アンネ・フランクも、なぜユダヤ人であるというだけでこんな目に遭わなければならないのか? と問うている。なぜ? 62年がたったいまもなお、こういった事件が起こるのは、なぜだろう?

街に迷惑をかけているという主張に百歩譲って一理があるとしても、そうしている、彼らがそうさせられているのはなぜなのか? というところに目が届かない。あくまでも最終的には排除するしかない、という論理である。

わたしたち障碍者も、ナチスによって虐殺された過去があり、いまもなお社会的に不利益な立場におかれることもある。

他者の苦しみに思いをいたすことのない人間は、けっして自分が同じ立場におかれることを想像できないし、想像しようともしない。

こんな事件がまた起きて、いったいほんとうにこの国は「美しい国」なのだろうか。そもそもこんな言葉を口にしたり本にしたりするこの国の指導者こそ、軽い、あいまいで大衆受けしやすい言葉でわたしたちを愚弄してはいないか?

この事件を起こした少年たちが、本当に他者の苦しみに目覚める日が来るように。口先ではない、いのちを大切にする社会であるように。