一瞬一瞬にすべてをかけて2007/07/19 23:55:57

今日は卓球のコーチ指導日。いつもより参加者が多く、また新しく来た方もおられ、気合いを込めてプレーに励んだ。

聴覚障碍者とスポーツ。
子どものころはこの世代の多くがそうであるように、野球だった。けれどもいかんせん、からだが小さく、足も速くない。一時サッカーにのめり込んだこともあるけれど、練習の合間に水をのんではいけないと厳しく言われたのがいやで、遠ざかってしまった。

そんなわたしが、卓球を始めてもう5年だ。
どこかでも書いたことだけれど、卓球は、聞こえる聞こえないは関係ないスポーツだ。たとえば野球なら、サインを読み取らなければならない。チーム内のコミュニケーションが大事だ。連係プレーから、とっさのときへの対応まで。フットボールでも同じ。もちろんそれはそれで、お互いの工夫しだいでいくらでもプレーできるのだ。実際、メジャーリーグでも聴覚障碍のある選手が過去に何人もいたし、マイナーリーグまで掘り下げればさらにいる。

卓球はこれらチームスポーツとは異なり、個人競技に近い。ダブルスもあるが、それもお互いの連係が大事だが野球ほどに複雑なものを要求されない。

わたしの使っているラケットはカーボンの入った、前陣攻撃型と言われるもの。前へ積極的に出ていくプレースタイル向きらしい。さらにラバーも特厚といって強力な打球が打てる。だが使い慣れないと、単に力任せになってしまいやすい、いわば扱いにくいラケットとラバーの組み合わせなのだそうだ。プロ、上級者レベルではもちろんこの組み合わせでこなしている人がいるが。

その扱いにくいラケットとラバーでプレーしていると、強い打球の反動を感じることで、聞こえなくても球の動きがはっきりわかる。手話の読み取りと同じで目で情報を読み取るのだから、当然集中力も高くなる。ちなみにわたしは卓球でもフットボールのパス練習でも、補聴器を外す。汗が入って故障につながるのがいやだからだが、補聴器を外すとほとんど聞こえない。聞こえなくても関係ない。扱いにくいラケットとラバーで強い反動の球により、思いっきり一瞬一瞬に集中することができる。難聴者、ろう者は集中力が高いといわれるが、卓球ほど向いているスポーツがあるだろうか、とふと思う。

いつも口にしているように、「聞こえなくても不幸ではない」。
一瞬一瞬にすべてをかけることのできる、卓球というスポーツ。
生涯長く続けることができるというメリットもある。
生きているかぎり、からだが動くかぎり、いつまでも続けていきたい。