未来への希望2007/07/02 22:23:50

かねてから取りかかりたいと思いつつ、延び延びになっていた、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪れた1995年の写真をCD-Rにデジタル保存する作業を終えた。

今回デジタル保存したのは250枚以上にのぼる。ほかにも埋もれていたり保存をしたりしていないものもあるかもしれない。12年前はまだデジタルカメラは持っておらず、一眼レフのフィルムカメラしかなかった。散逸したり保存状態が悪くなったりするまえに、今回朗読で「アンネの日記」を読むと決めたことにあわせて取り組んだ。

12年前のおだやかな秋の日だった。青空と対照的な、数多くの展示物や銃殺刑の跡が違和感をあたえた。が、まぎれもないここにはおおくのいのちが、殺される必要も理由もないのに、暴力と差別によってこの世から去っていったのだ。

アウシュビッツ、世界遺産名を変更 ポーランド求める
http://www.asahi.com/international/update/0628/JJT200706280002.html?ref=button

2007年6月27日、ニュージーランドで開催されていた世界遺産委員会で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、1979年に、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」の名称で登録された世界遺産への登録名に「ナチス・ドイツ」の表記を入れることを承認したという。

記事によると、多くの外国メディアが「ポーランドの収容所」と呼んでいるため、ポーランド政府は「本来は被害者であるポーランド人が、アウシュビッツ強制収容所を造ったとの誤解を与える」として、登録名の変更を求めていたという。

実はわたしもアウシュビッツとはドイツがつけた地名であり、もともとはオシフィエンチムというのが正式な地名だということ、世界遺産の名前が「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」ということも知っていたが、やはりポーランドの気持ちを考えると、それだけでは伝わらないのではないかと思ったこともある。

「アウシュビッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所(1940~45年)」と決まった新名称で、ナチスが加害者であることが明記された。

思い出すのは、強制収容所を回っている同時刻に、中学生とおぼしき若者の集団をみた。聞けばドイツからやってきたという。彼らには責任がないかもしれないが、祖父、いやその父らが行った行為を見聞きして、どんな思いだっただろう。しかし、忘れることがあらたな暴力の始まりにつながる。だから苦しいことだけれど、はっきり見て確かめることが、未来への希望につながる。生きたくても生きることを許されなかった多くの人たちのためにも。

社団法人日本ユネスコ連盟 世界遺産リスト
http://www.unesco.jp/contents/isan/whlist.php?area=%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91

UNESCO  World Heritage
http://whc.unesco.org/

願わくは、アメリカからも、ヒロシマ・ナガサキを訪れる人が多く出てほしい。

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