原稿を読んでみた2007/06/25 23:19:15

3カ月後の朗読舞台に備えて、原稿を何度も声を出したり黙読したりしている。
昨年は手話の単語を交えて読んだが今回は、抜粋した4日の日記のうち2日くらいの個所を手話も入れようと考えている。しっかり読みこなしておかないと手話表現もできないからだ。

子どものころやりたかった仕事というと、プロ野球なんていう壮大かつ現実味のない夢はさておき、小学校時代図書館から借りた本の一つに、「アナウンサーになるには」というのがあった。そう、アナウンサーになりたかったのである。

ある年の暮れ、NHK内にある、ライブラリーコーナーや放送体験コーナーを回った。
ライブリーコーナーでは懐かしいドラマを見て思い出にひたったけれど、それ以上の感動は体験コーナーで簡単なニュース原稿を読みながらカメラの前に座ったことだ。もちろん実際のテレビモニターがあり、アナウンサー同様にカメラの前に座り同時に自分が映っている画像をモニターチェックすることができる。「わぁ~映ってる映ってる」などとおバカなまねは……とてもできない。
思わずなりきって、ニュース原稿だから感情を込めずに読んでしまい、楽しさと難しさを同時に知った。

もう慣れたことだけれど、わたしと初めて会う人からいつも、「難聴だとは思えない」という返事がかえってくる。補聴器をつけても聞き取るのがやっと。外すとほとんど聞こえないのだ。けれど話すほうは普通に聞こえる人と変わりないらしい。そのどっちつかずというかあいまいな立場に何度も悩んだ。

大学時代に読んだ、元アメリカンフットボール選手で、試合中の事故のために車いすの肢体不自由者になった方の本を読んだことがある。
そこにはこうある。
「失われたものを数えるな。残されたものを最大に生かせ」

若いころは実感できなかったけれど、朗読の世界にひかれ、手話を身につけ、ソングダンスを知り、表現するということの楽しさ難しさ喜びを何度も経験したなかで、この言葉がとても強く実感できる。

いまはどっちつかず、あいまいな立場を受けいれることができる。このからだでよかったとも思う。このからだでなかったら経験できなかったことなのだから。
これからどんなことがあるか予測はできないけれど、せっかくこういうからだをいただいたのだから、このからだで経験できることを楽しみたい。聞こえないという失われたものではなく声や手やからだで話すという残されたものを大切に生きよう。