だからこそあきらめずに努力してお互いの壁を埋めていこう。2007/06/17 23:58:35

今日も暑い一日。礼拝最中に体調を崩して倒れた方がいらした。帰りがけにバス停のそばのソファに座っていた、目の不自由な方と立ち話を交わす。
「暑いねえ」で始まり、「梅雨はどこへ行ったんだ」という話で終わった。都内へ入っても厳しい暑さは相変わらずで、夜になってようやく落ち着いたとはいえ、明日も変わらない気温だときいてうんざり。

さて昨日、わたしたちの手話サークルに、新しい方が入られた。うかがうとろう者の使う日本手話を使っていらっしゃる。手話と言っても2つある。ひとつがわたしたち中途難聴者が使う手話で日本語対応手話または単に対応手話という。中途難聴者の多くは日本語としての読み書き、文章構成力があり、文章通りに手話も表すことが多い。日本語に対応した手話ということだ。もうひとつはろう者が使う、手話の文法に合わせて使う日本手話だ。

梅雨入りなら、梅+雨+入る=日本語対応手話。梅+雨+始まる=日本手話。フットボールのディフェンスとオフェンスの選手が一対一で向かい合うように、日本語の文法に対応して表す日本語対応手話に対して、意味やイメージから表すのが日本手話だ。たとえばコンビニエンスストアの「ローソン」を対応手話では指文字で表すが、日本手話ではろう(耳から口へ手を動かして「ろう」)+損(手を口から下へ放るように。損する)というように、イメージや意味からとらえる。

では、中途難聴者とろう者では通じないのだろうか。手話でも違うためにコミュニケーションは成り立たないのだろうか。

中途難聴者から見れば、ろう者のそれは速すぎて読み取りにくいと言われる。ろう者からみれば中途難聴者は文法に忠実すぎる。

昨日話し合ったことだけれど、お互いの違いは厳にある。だからといって通じないと避けるのではなく、分からなかったり納得できなかったりしたらはっきり言うこと。コミュニケーションの壁があるのは難聴者もろう者も同じ。だからこそあきらめずに努力してお互いの壁を埋めていこう。

おとといの記事がきっかけで、いろんな方からコメントをいただいた。思いがけないことに驚き戸惑いつつ、見知らぬ人がわたしの文を読んでくださり、多くの方がコメントをお送りくださったことに、コメントをお送りくださった方々みなさんに、こころから深く感謝したい。
と同時に、地道であっても先が気の遠くなるような時間がかかったとしても、こつこつと1ヤード1ヤードを走るように、お互いの気持ちや立場を忌憚なく話し合える、そんな社会をつくりたい。

偶然だけど写真は3月16日と同じビルだ。カメラを持った立ち位置が少し違うだけ。あの日は夜遅く寒かった。ごらんのようにビルが晴れた青空を裂くようだ。
コミュニケーションを積み重ねて、晴れた青空のようにさわやかな気持ちが残るようになりたい。