さらなる恵みにこたえられるようでありたい2007/05/06 20:14:47

ミントブッシュ
連休最後。日曜日ということで、礼拝後小時間を聖書の学習会と昼食の後、自宅へ戻ってからいつもの喫茶店へ。いつも訪れるたびにとてもすてきな花だなあと思う。
お店のマネジャー、Mさんから、お花の担当をしていらっしゃる方をご紹介いただいた。手紙を書きながらそばに飾られてあった花を撮影した。ミントブッシュという花だそうだ。

今日のメッセージはルカによる福音書19章11節から。

メッセージでは、一人ひとりに与えられているムナをどう受けとめているのかという問いかけが主題であった。同じようなたとえ話にマタイによる福音書25章があるけれど、こちらは3人にそれぞれお金を渡して商売するようにと命じられた。2人はきちんと与えられたムナを生かしたが、最後はこわくなって布に包んで隠したという。マタイのほうは主人がどういうお方であるかを知っていてあえて、使わなかったという話だ。どちらが悪いかという議論ではなく、どちらもいただいた恵みを生かしているか生かさなかったかが問われている。

「失われたものを数えるな。残されたものを最大に生かせ」。きこえない耳と普通に話せる口をいただき、自分を表現するすべが与えられた。この恵みを感謝するとともに、さらなる恵みにこたえられるようでありたい。恵みを隠したり最大に生かさなかったりということのないように。

といいながら連休のわたしは、最後にようやく、気合いを入れて過ごした。もっと早めにエンジンをかけていたらなぁ(-_-)。

コメント

_ ユミ ― 2007/05/07 21:44:33

預かったミナ(ムナ)の話し。
以前私の教会で牧師がした説教が心に残っています。

一見、わかりにくい結末の話しだと思っていたけど、牧師の具体的な解説でこの話しのリアリティが理解できました。
一番少なくもらった人の1ミナでも、当時は労働者1年分の報酬に当たる金額だったらしいのです。
そんな大金をもらって、ふくさに包んだままでいるなんて。
もっとも少ない金額でさえ、庶民からすれば大金。どんな小さな存在にも神様は豊かな賜物を備えてくださっていることを、それにの対する感謝を覚えた説教でした。

_ スマイル ― 2007/05/07 22:18:44

ユミさん

1ミナでもタラントンの100倍でしたか、当時の報酬としては考えられない高額だったそうです。それを隠すなんてねえ。

お金の話だからみみっちいと思いがちだけれど、今の時代でも通じることだと思います。
障碍者だけではなくどんな存在にも神さまは目を注いで賜物を与えて下さるということですね。感謝!

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
今年のスーパーボウル優勝チームは?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/2007/05/06/1488489/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。