生きて 簡単にいのちを捨てるな。2006/11/12 22:12:00

いじめと自殺のニュースがまた相次ぐ。先日は文部科学大臣あてに「いじめられている。自殺をする」と実行日を記した内容の投書が送られてきた。そこに書かれていたのは昨日、11日。いまのところ自殺が出たというニュースはないが、送られてきた投書の投函郵便消印に「豊」の文字があったため、全国の「豊」に該当する地域を含め自治体、学校がピリピリした雰囲気になっている。

本当に児童・生徒の文章だろうか。字体は稚拙だが文面は大人の作文とも読める。
しかし、ことの真偽ではなく、こんな投書がニュースになるような社会が大きな問題であるとわたしは思う。

死。いつかはわたしも死んでいくし死ななければならない。
この投書事件をみてわたしはいくつかのことを思い起こす。

まず、第2次世界大戦で「特攻」として米軍艦に体当たりしていったパイロットを思う。わたしも図書館や書店で当時の米軍従軍記者や兵士が艦上から撮影した、まさに特攻機が突っ込んでいく瞬間、突っ込み大きな炎を吹き上げる瞬間の写真を何度も見た。いったいあの瞬間、パイロットはなにを思い考えたろう。生きたいと思っただろう。できればトラブルで引き返したいとも思ったかもしれない。でも命令であり、祖国のためにと思って死んでいかなければならなかった。反対に狙われた米軍側にも目を転じよう。特攻攻撃当初は何がなんだかわからなかった。しかし2度3度と同じような攻撃が行われるにつれて、自殺というか自爆というか、自分が死んでもかまわないという強い意志のもとに行われた攻撃だった。そのために死ななければならない米軍兵士。彼らも炎に包まれ焼けていく死体と異臭を目の当たりにして恐れただろう。先日、ニューヨーク湾に保存係留されている、何度も日本海軍の特攻攻撃で標的とされた旧米海軍空母「イントレピッド」が修復されるというニュースで、当時特攻攻撃を経験した元海軍兵士の話を読んだ。「カミカゼは狂信的な行為だし、同僚を殺されて憎しみもあった。だが、彼らも自分がやるべきことをやったのだろう」と元海軍兵士のひとりは語る。「賛同するわけではないが、なぜやったのかは我々も理解できる」。当時は怒りにふるえたが、いまは特攻を遂行した日本海軍パイロットの行為を理解できると、元海軍兵士の一人は語った。

もうひとつは死刑。
わたしはクリスチャンとして死刑に反対であるのだが、死刑囚となり執行が言い渡されるその時までの恐怖。ある本で読んだが、拘置所の刑務官が死刑囚の収容されている房をまわる、朝9時から11時までの時間が一番恐ろしく感じられるという。なぜなら番号で呼び出され執行を告げられるからだ。
いつ執行されるかは当日にならないとわからない。しかも朝食事を終えて房に戻ってまもなくだという。恐怖、生きたいと思う。しかし死ななければならない。執行前に刑務官と会う。執行されたあとはもう会うことも会話をすることもできない。

このふたつは極限の、言ってみれば普通の生活を営んでいるあいだはあり得ないことであるかもしれない。しかしわたしたちはいつかは誰もが死ななければならないし死と向かい合わなければならない。

はじめに書いた、文部科学大臣あてに送られてきたという投書には、実行日が書かれていたという。
書いた本人はどんな思いで書いたのだろう。思いつめてのことだろう。しかし実行日を書いたとしても、それまでの時間、迷いためらわなかっただろうか。

わたしは思う。簡単にいのちを捨てるなと。
もっと生きたくても生きられない状況におかれたら、どうするのだ。学校でのクラスメートのいじめは大きなことだけれど社会に出たらもっとたいへんないじめや不合理に直面する。いじめはわたしだってつらく思い出したくもない経験だ。しかしそれをへていまがある。

簡単にいのちを捨てるな。

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