なにも恐れることはない2006/10/15 23:00:47

昨日下北沢でひらかれた、生涯初めての朗読発表会。4年近く学んできた成果というほどではないけれど、自分だけで読むのではなく仲間に、聴衆に聴いてもらうことで初めて成り立つ「朗読」だ。今回使ったのは前にも何度か触れた、「地球交響曲」から、「疾風怒濤」の章。

    耳鳴りがますますひどくなり、外部の音がなに一つきこえな
   くなっても、心のうちから音楽は湧き出てくる。自分の弾くピア
   ノの音さえきこえなくなり、演奏で人を感動させられなくなって
   も、魂のあるかぎり音楽は湧いて出るのであある。他人と会
   話できなくなっても、曲はつくれる。いや、聴覚になんの支障
   もない音楽家には思いも及ばぬ個性あふれる曲が生まれる
   かもしれないのだ。
    なにも恐れることはなかった。ベートーヴェンがベートーヴェ
   ンであるかぎり、音楽は無尽蔵に発掘できる。肉体の障害な
   どというものが、魂の自由を制約できるはずがないのだ。創
   造は魂の営みである。だれにもそれを押しつぶすことはでき
   ない。聴覚どころか視覚、触覚、いや五官のすべてを失った
   としても、他の追従をゆるさぬ音楽を書いていけるにちがい
   ない。

読んでいて一番心を込めたというか、聴いてほしいくだりがあるとしたら、このくだりだ。
ベートーベンがそうだったようにわたしも聴覚障害者であり、手話ソングダンスや朗読という、芸術にとても関心があり自分でも挑戦している。 
聞こえないということはたしかに厳しくつらいことだけれど、だからといって何もできないのではないし、不便ではあるけれど不幸でもない。耳が聞こえる人には思いも及ばぬ何かを生み出すことができる。
わたしがわたしであるかぎり、なにも恐れることはない。このくだりにもあるように、肉体の障害が魂の自由を制約できるはずがない。

わたしがわたしであるかぎり、自分を信じていくこと。
それがなによりも大事なことではないだろうか。