若かりしころの過ち2006/09/23 22:58:28

といってもたいしたことではないのだけれどね。

大学を卒業する直前、就職活動のための旅費稼ぎでアルバイトをしたことがある。札幌の大通り公園で毎夏にひらかれているビアガーデンのジョッキ洗いだ。これはこれでけっこう危ない仕事である。まずガラスで指や手を切ってはいけない。実際、切断とまではないが、切り傷や手当てを要した事故もあったらしい。水で洗うだけではなく、ビールの残りが入ったままになっていることもあるからビニールの手袋を着けていても用心に越したことはない。

で、最後の勤務が終わったあとで仲間たちとのんだ夜。
かっこつけて(女子学生の前でいいところを見せようとして)のみ慣れないのに一気にのんで、へべれけどころか全身アルコールが回ったまま、大通公園から地下鉄で帰ったのはいいが、そのあと親せきの家に留めてあった自転車に乗って自宅へ帰ろうとしたら、あらら、千鳥足ならぬ蛇行運転で、電柱にぶつかりそうになるわ、車道にはみ出さないかと親せきの人はハラハラしたらしい。

なんでそんな思い出を書いたかというと、飲酒運転事故に関する報道がここ半月、やたら目につくのだ。
福岡市で起きた、3人の乳幼児が犠牲になった衝突事故が、公務員の飲酒運転によるものだったことをふまえて公務員は各自治体、役所とも飲酒運転はもちろん飲酒を知りながら同乗した者も懲戒解雇という厳罰で臨むようになった。一般企業でも同様のところが増えている。

わたしはたばこもお酒もまったくのめないしやらないけれど、酒を飲みたがる、飲みたいという気持ちは理解でも、やっぱりどうしても飲んだあとでハンドルを握るということは理解できない。正常な状態でも判断ミスが起こりうる。酒を飲んだあとでは、大丈夫という確信はあっても絶対に大丈夫とは言い切れない。
そのことをしっかり認識できるかいないか。結局は「のんだら乗るな」ということなのだろう。

わたしは自転車でああいう経験をしただけではなく、もともとのめない体質だから、どちらかというと飲酒のこわさを身にしみて感じる。
たまたま自転車だから笑い話にもできるけれど、これが自動車だったらと思うとぞっとする。一瞬にしてひとのいのちを奪いかねないだけではなく、周囲に有形無形の迷惑や悲しい思いを与え、人生を変えかねない。

ありきたりの言葉かもしれないけれど、やっぱり悲しい思いはしたくない。
のめないから関係ない、ではなくいつどんなときどういう状況に陥るかわからないけれど、わたしもまたどこかで誰かの人生を奪い変えてしまう可能性があることをこころに刻んでいこう。