言葉と文化2006/08/27 22:31:36

今日午後から、港区の芝公園福祉会館でひらかれた、東京都中途難聴者・失聴者協会の実年部例会に参加してきた。途中で手話ソングを一緒にやって、久しぶりにこころからはじけたひとときだった。

手話を学んできてあらためて感じるのは言葉と文化ということ。
人生の途中で、といってもさまざまで、わたしのように幼少時からきこえなくなった人がいれば、加齢とともにきこえなくなってきた人もいる。また生まれたと同時に聴力を失った人もいる。

途中できこえなくなった人の場合は、学生時代に文章表現や言葉を身につけていく。そのため手話表現もどちらかというと文章通りに表現することを第一としている。生まれたと同時にきこえなくなった人の場合は、言葉を語句や意味というよりは、イメージでつかむことが多い。そのため文章どおりに表すよりは、伝えたいことを文の最後にもっていくことが多い。
 
 例として、青と赤ではどちらが好きですか?

 中途難聴者はこう表す。      
             青 赤 どちらが 好き?

 ろう者つまり、生まれたときからきこえない人たちは
             色 青 赤 好き どちら?

 お分かりだろうか。
 中途難聴者は言葉を獲得しており文法に従って表す。
 ろう者は文章通りではなく、一番伝えたいこと、何を伝えたいかをまず第一にもってくる。だから色が最初に来て、好きなのはどちらか? という明確な文になる。

 どちらがいいか悪いかを論じるのが目的ではないし、わたしにそのような立場も資格もない。ただあるのは手話というコミュニケーションだけだ。

 大事なのは、中途難聴者もろう者も生きていく上でコミュニケーション手段を大切にしているということ。そのために手話を身につけている。
 ろう者と中途難聴者ではたしかに文化が異なる面はあるけれど、手を使った表現を精いっぱい駆使している。
 昨日有楽町で、高校生の手話スピーチコンテストがひらかれた。
 昔に比べてかなり手話に対する理解が広がったのはうれしい。しかしそこで終わりにするのではなく、手話を通してお互いを知り合うという一歩進んだ世界に踏み出してほしい。その意味で手話ソングダンスや手話つき朗読といったわたしのチャレンジしたい目標も、自分をさらけだし相手を理解したいというあらわれだ。