居ながらにして ― 2006/05/10 23:32:06
職場のパソコンがどうにもこうにも重すぎて起動しなかったりトラブルを起こしたりしてたいへんなことが二度三度。
上司にかけあって新しいパソコンを入れてもらった。
いまこうして居ながらにして世界から情報を得ることができるのだけれど、昔は「居ながらにして」といえば短波ラジオの国際放送があったのを思い出す。
まだ耳が聞こえていたころ、小学生から中学生時代にかけて、海外短波放送を聴いていた。BBC、モスクワ放送、北京放送、ラジオ・オーストラリアといった日本語放送のあった放送局がお気に入りだ。
日本でも地方によってはこうしたインターネットの通信網が普及していないところがあるそうだが、世界に目を転じれば情報インフラのないところがたくさんある。インドネシアやフィリピンなど大小さまざまな島からなる国は、交通手段が船しかないところもあり、行くだけで何日もかかることがある。
そんなところでは情報を得るとしたら、ラジオしかない。
ネットの世界は便利なようでいて、ひょっとするとかえって不便なのではないだろうか。なぜなら、情報を咀嚼して判断するという余裕を与えない、一方的に送られてくるからだ。ラジオならダイヤルを回して別の放送局を聴いてみるとか、ラジオを消してみることでいったん情報から離れることもできる。がネットでは洪水のごとく送られてくるために、そんな余裕を与えないのだ。
居ながらにして情報を得られる社会は便利だけれど、これに振り回されているわたしたちを考えるとき、いったい科学とは便利さとはなにかということが問われているというのは、うがちすぎだろうか?
聞こえないからだだからこそ、じっくり情報を得るということに、自由な姿勢でありたい。
上司にかけあって新しいパソコンを入れてもらった。
いまこうして居ながらにして世界から情報を得ることができるのだけれど、昔は「居ながらにして」といえば短波ラジオの国際放送があったのを思い出す。
まだ耳が聞こえていたころ、小学生から中学生時代にかけて、海外短波放送を聴いていた。BBC、モスクワ放送、北京放送、ラジオ・オーストラリアといった日本語放送のあった放送局がお気に入りだ。
日本でも地方によってはこうしたインターネットの通信網が普及していないところがあるそうだが、世界に目を転じれば情報インフラのないところがたくさんある。インドネシアやフィリピンなど大小さまざまな島からなる国は、交通手段が船しかないところもあり、行くだけで何日もかかることがある。
そんなところでは情報を得るとしたら、ラジオしかない。
ネットの世界は便利なようでいて、ひょっとするとかえって不便なのではないだろうか。なぜなら、情報を咀嚼して判断するという余裕を与えない、一方的に送られてくるからだ。ラジオならダイヤルを回して別の放送局を聴いてみるとか、ラジオを消してみることでいったん情報から離れることもできる。がネットでは洪水のごとく送られてくるために、そんな余裕を与えないのだ。
居ながらにして情報を得られる社会は便利だけれど、これに振り回されているわたしたちを考えるとき、いったい科学とは便利さとはなにかということが問われているというのは、うがちすぎだろうか?
聞こえないからだだからこそ、じっくり情報を得るということに、自由な姿勢でありたい。
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