小さなことで大あわて2006/05/02 21:57:41

 ここしばらく水道を使って洗い物をしていて、やけに水の流れが悪いと思い、困っていた。水道代もばかにならないし、と思っていたら………。

 コンタクトレンズを着け始めて間もないころ、なんどかあやうくコンタクトレンズを水道に流してしまいそうになったことがある。使っているのはコンタクトソフトレンズだから簡単に流れてしまう。流出を防ぐためネットを張っていたけれどいまは使っていない。宿泊先などでたまに使うだけになった。

 ところが今度はコンタクトレンズではなく、ケースで大失敗!

 レンズケースもこまめに洗うことにしているのだけど、ケースのふたを落としてしまい、水を流す口をふさいでしまった。はじめに書いた、洗い物をしていて水の流れが悪かった原因はこれだったのだ。

 フォークを使って引っ張り出そうとしたけれどなかなかひっかかってくれない。悪戦苦闘の末、はしを突っ込んでつまみだしてようやく一件落着。
 はぁ。こんな目にあうとは思わなかった。

 注意が足りないからと言ってしまえばそれまでなのだけれど、ホント抜けているなと思う。なさけない。

震度4! ………地震だ!2006/05/02 22:11:34

 仕事が終わって少しだけインターネットでニュースを見てから帰ろうと思っていたとき、からだが揺れる。べつに居眠りしていたわけでも貧乏揺すりをしていたわけでもない。………地震だ!

 阪神大震災のときもそうだけれど、東京で生活していて地震に対して妙に敏感になってしまった。新潟で地震が起きた2年前のときも会社で仕事をしていて大きな揺れに驚いたけれど、今日も揺れを感じてすぐにテレビの速報に注意した。震度4。地震の大きさの規模を示すマグニチュードは5.4。伊豆半島東方沖だという。

 ゴールデンウィークの連休と重なって伊豆や神奈川などの観光地にはたくさんの観光客が詰めかけていると思う。 
 そんななかだからよけい不安になる。この1週間にも何度も、震度4や5という地震があったからなおさらだ。

 いちばんいやというかこわいのは、真夜中に揺れたとき。下から突き上げる直下型であろうが、横にゆっくり揺れる揺れだろうが、いやなものはいやだ。

 いつかは来るとわかっているけれど、いやだなぁ。

 今回は2つ、話題があったので書いてみた。

深い悲しみ2006/05/04 23:09:29

It’s the one who won’t be taken     奪われるのが いやさに
Who can’t seem to give     与えない   こころ
And soul afraid of Dying     死ぬことを  恐れて
That never learns to live     生きることが できない

When the night has been too lonely    長い夜    ただひとり
And road has been too long     遠い道    ただひとり
And you think that love is only    愛なんて   来やしないと
For the lucky and the strong    そう    思うときには

Just remember in the winter           思い出してごらん  冬
Far the beneath the bitter snows        雪に 埋もれていても

Lies the seed that with the Sun’s Love    種子は春 おひさまの
In the spring becomes the Rose         愛で  花ひらく
 
     (ベット・ミドラー「The ROSE」 都はるみ「愛は花 君はその種子)

わたしは思う。
 手話ソングダンス、手話つき朗読、エッセーなどを通して聴覚障がいがあり普通に話せる、このからだで「表現者」として生きたい。それは神さまを信じるキリスト者としての目標でもある。聴覚障がいと普通に話せるからだを与えられた。このからだで神さまをあかししていきたい。いつかは愛を分かち合える喜びを知りたい。
 確信をもっているなら、信じているなら、いつかは神さまが与えてくださるし道を備えてくださる。自分の未来と歩きたい道を、しっかりみすえていること。自分と自分の未来に、自分に対して信頼をもつこと。

 わたしにこれらの生きる希望を与えしかり励ましてくださった、高村真理子さんが亡くなった。信じられないという思いと、もう会えないという悲しみで胸が張り裂ける。
 高村さんが生前愛していたこの「The ROSE」という曲。
 わたしも受け継ぎしっかり覚え、ASLで歌いたい。高村さんに届け!

悲しみは消えないけれど2006/05/06 23:16:39

 悲しみの知らせから2日がたった。
 そのあいだ、肩や首筋、ひざなどあちこちが痛んだり眠れなかったりという状態が続いた。たぶんショックとストレスなのだろうと思う。街を歩いていて高村さんから教わった手話ソングを思い出し、演じているうちに、一緒にいないという思いからまた悲しみがこみ上げてきて泣き出してしまった。

 もっと話したかった。歌いたかった。一緒にひとときを過ごしたかった。
 もっともっと……………。

 悲しみは消えないけれど、そのいっぽうで、立ち上がらなければ、歩き続けなければと思う。
 わたしもいつかは死んでいく。避けられるものであるなら避けて通りたいけれど生きているということは、いつかは死んでいくということだ。
 その死に向かって、わたしも歩いていかなければならない。
 高村さんがやり残した、かなわなかった夢に向かって、わたしは後に続きたい。それが高村さんに対してできる、精いっぱいのできることなのだろう。

 だから悲しむとともに、いつか高村さんとお会いしたときに、いつか向こうでお会いしたときに喜んでもらえるように、もっと話したかった歌いたかったという思いを、自分が歌い踊り続けることで高村さんにおみやげをもっていけるようになろう。

 いままで、ほんとうにありがとう。そして、ごめんなさい。

からだが痛い2006/05/08 23:35:54

 手話ソングダンスのレッスン日。
 仕事中からだのあちこちが痛かったり重かったり、まだショック状態なのだろう。しかしいろいろ伝わってくる情報を見聞きするにつれ、高村さんの苦しみに比べたらわたしなどたいしたことがないとさえ思う。
 苦しいときこそささやかな小さなことを大事にして、全力を尽くしていこう。

 レッスン前にいつものように、机を後ろへやって席を出して並べて、CD・MDプレーヤーに高村さんの好きだった曲「The ROSE」と唯一レッスン以外に教わった曲、海援隊の「えきすとら」を流して何度もひとりで動いてみた。
 悲しみがこみ上げてどうしようもない。そばでほめてしかり教えていただきたかったと何度も思う。

 みんなと黙とうをしたときも、いままでの思い出や高村さんを怒らせたり怒られたりしたことが走馬灯のように出てきて、なんであんなことをしたのかと悔しくなってきた。

 いつかわたしも高村さんのいるところに行く。
 そのときよくやったねぇと笑ってもらえるように、いまこのときを精いっぱい生きたい。
 数日かけて思いを文にして3本、書きまとめた。
 書いた思いを忘れずに、立ち上がろう。

居ながらにして2006/05/10 23:32:06

 職場のパソコンがどうにもこうにも重すぎて起動しなかったりトラブルを起こしたりしてたいへんなことが二度三度。
 上司にかけあって新しいパソコンを入れてもらった。

 いまこうして居ながらにして世界から情報を得ることができるのだけれど、昔は「居ながらにして」といえば短波ラジオの国際放送があったのを思い出す。
 まだ耳が聞こえていたころ、小学生から中学生時代にかけて、海外短波放送を聴いていた。BBC、モスクワ放送、北京放送、ラジオ・オーストラリアといった日本語放送のあった放送局がお気に入りだ。
 
 日本でも地方によってはこうしたインターネットの通信網が普及していないところがあるそうだが、世界に目を転じれば情報インフラのないところがたくさんある。インドネシアやフィリピンなど大小さまざまな島からなる国は、交通手段が船しかないところもあり、行くだけで何日もかかることがある。
 そんなところでは情報を得るとしたら、ラジオしかない。
 
 ネットの世界は便利なようでいて、ひょっとするとかえって不便なのではないだろうか。なぜなら、情報を咀嚼して判断するという余裕を与えない、一方的に送られてくるからだ。ラジオならダイヤルを回して別の放送局を聴いてみるとか、ラジオを消してみることでいったん情報から離れることもできる。がネットでは洪水のごとく送られてくるために、そんな余裕を与えないのだ。

 居ながらにして情報を得られる社会は便利だけれど、これに振り回されているわたしたちを考えるとき、いったい科学とは便利さとはなにかということが問われているというのは、うがちすぎだろうか?

 聞こえないからだだからこそ、じっくり情報を得るということに、自由な姿勢でありたい。

相手の立場を考えて2006/05/12 23:58:47

 卓球も長くやっているといろいろ、楽しみだけではなく難しさも感じられる。
 初めのころは自分の打ちたいように打つというか、こんな打球を打ってみたいとか、要するに自分の願望を満たすのが目的だった。実際、最初に買ったラケットは板に初めからラバーが張ってあるものだったが、使い慣れていくと物足りなくなってきた。次に購入したのはカーボングラスファイバーをはさんだ、やや重めのラケット。これに裏ラバーソフトの強力な打球がかえせるものを張っている。これがあればどんな速い球も打てるし、打ちたいと思ったから購入したのだけれど。

 でもそればかりではいくらでも打てるようになるかもしれないが、技術向上にはすぐには結びつかない。
 わたしの欠点はサーブのまずさなのだけど、相手のことを考えていないといわれてもしかたないほど、ある意味自分中心のプレーだ。

 相手が打ちやすいようなサーブを打つ。相手の気持ちを考えて打つこと。
 これが試合になれば駆け引きや相手の裏を読んだプレーを必要とするけれど、ともあれ自分の打ちたい球ばかりではいけない。

 もっともっと練習が必要だね。

国を越えた競い合い2006/05/14 21:02:36

 あれからもう4年になるのか。日韓共催のワールドカップサッカーから、今度はドイツでひらかれる大会に日韓ともに出場することになった。
 3月にアメリカでひらかれたベースボールのワールドカップ(WBC2006)でも日韓両国が出場ししのぎを削って戦いを繰り広げた。
 サッカーともなるとスケールがでかすぎてピンとこないけれど、かつてワールドカップ出場をかけた大陸予選の結果で、国同士が本当に砲火を交えたこともあった。1970年メキシコ大会の予選、1969年北米カリブ海予選でのホンジュラスとエルサルバドルだ。エルサルバドルが3-2でホンジュラスを下したのが発端で、和解まで10年を要した「サッカー戦争」といわれた。
 そこまでやるかという気もしないではないけれど、それほどに国の威信をかけた戦いがある。

 わたしは本当の戦火はごめんこうむるけれど、国同士が戦い、競い合うスポーツはいくらあってもすごいと思う。
 なぜなら自分の故国の代表があって異なる国の代表があって、それぞれに応援して自分の何たるかを確認することができ、お互いの国に敬意を表することにつながるからだ。つまり、敬意をもって競い合う上でなら、国際試合にこころひかれるのだ。

 悲しいかな、どうしてもそこには偏狭さがつきまとう。時として暴力に訴えることもある。
 今回の主催国ドイツは統合ドイツとしては初めての主催だ。第2次世界大戦で憎しみあったポーランドやオランダなどからも熱心なサポーターがやってくる。ナチスの使ったヘルメットと同じデザインの色違いヘルメットを持ち込もうとするサポーターがいるし、ネオナチやフーリガンが暴動を起こすかもしれない。そのため警備が厳重になっていると伝えられている。さらには国際テロ組織も入り込んでくるかもしれない。

 思い出してほしい。
 スポーツができるのは平和だからこそ。平和なときだからスポーツの感動を味わえるのだ。
 それをぶち壊しにしようとする暴力を、わたしは憎み嫌う。
 暴力からは何も生まれない。
 
 あと1カ月で熱狂のフットボールが始まる。

やってみると…………2006/05/16 23:38:51

 卓球、ソングダンスと、けっこうからだを動かすことが好きでいろいろやっているけれど、今日あるフラッグフットボールチームの練習を見学、実体験をさせてもらった。
 大学時代に通っていた教会で、現役時代QBをやっていたという人から、ごく簡単なクオーターバックのテクニックを教わったことがある。つま先をハの形に、重心をやや前方へ向ける。バックペダルができない代わりにドロップバックでダウンフィールド方向(右利きなら右足)をけるように下がる……。

 フラッグフットボールはアメリカンフットボールのもつ、知的な部分と戦略的な部分、分業制で役割を分担してプレーに参加するといった側面を保ったまま、タックルなど危険な要素を取り払ったスポーツだ。アメリカでは女子大学などでリクリエーションとして普及しているだけでなく、毎年2月にひらかれているスーパーボウルのプレイベントで、プロリーグNFLの元名選手らが往年の技を競い合う試合がひらかれているほどだ。
 アメリカンフットボールでは攻守ともに11人。攻撃ラインはセンターを除き、ボールに触れることができない。タックルが許されているため当然、ヘルメットなど、身を守る防具を着けなければならない。
 しかしフラッグフットボールは攻守ともに5人。ボールに触れることがすべてのプレーヤーに許されている。腰に着けたフラッグあるいはタオルを奪ってタックルの代わりとみなす。このため防具はいらない、安全なルールになっている。

 今回は実際にゲームに参加することはせず、キャッチボールとQBからのパスレシーブのみの経験となった。
 からだのわりには、一応それなりの遠投はできるし、スパイラルがきれいにかかったスローイングができる。しかし、コントロールが悪い。わたしからみて右側に球が行ってしまう。これではレシーバーはキャッチするのが難しいだけではなくパス守備にも読まれてしまいかねない。

 パスを受けるのは実際にやってみると難しい。
 タイミングが合わない、決められたコースを走っていてもボールが高かったり届かなかったり。教わったこととして、スタートのときに手をたたくくせがあるのは、相手に読まれてしまうということ。
 一度だけキャッチが成功できて、生涯初のパスレシーブをすることができた。しかしあとはメロメロ。ひざとひじをすりむいてしまった。

 ともあれ、実際にチームに参加してみて、また一段、フットボールの魅力にひかれただけではなく、今秋からのNFLテレビ観戦などでもさらに奥の深い視点でみることができるかもしれない。

 夢がある。
 アメリカのデフあるいは難聴者のフラッグチームと日本のそれが対戦するフレンドシップゲームだ。
 手話ソングダンス同様に、はるかかなたの夢だろうけれど、一歩一歩歩いて、実現させたい。

 やってみると、はまりそうでこわいけれど、生きているからこそなのだね!

まだまだへたくそだな2006/05/18 23:30:42

 このブログを立ち上げて4カ月がたった。
 手話ソングや朗読、表現することにめざめたとあるのに、カテゴリ上ではなぜかスポーツの話題がやたらと多い。前回はフラッグフットボールだし、その前はサッカーのワールドカップ。ベースボールのワールドカップをとりあげたのは3月のこと。プロフットボール、NFLのシーズンが始まったら触れないわけにはいかないだろうし。このブログを知った人は戸惑うのではないだろうか。いったいなんなんだとぼやいてしまうのであった。
 
 さて今日は卓球同好会の練習日。あわせてコーチの指導をいただいた。
 わたしの欠点としてまず、サーブの成功率が低いことが挙げられる。
 ラケットがカーボンと木板でつくられ、ラバーも反発の強い材質である。
 力任せになってしまい、成功率の低いサーブになってしまっている。
 
 逆回転をかける打球でサーブを打つときは、手前に最初の球が落ちるようでなければならない。できればコートの角にひじをあてて直角の角度の範囲で。
 意識して、できるだけ手前に最初の球が落ちるように打ってみた。

 コーチのアドバイスを挙げてみる。

 ① サーブはゆっくり
 サーブはもともとは、ゲームを始めるときに、相手に打ちやすいように打つ、文字通り奉仕する(「サービス」の語源だ)のであったのが、テクニックやラケット、ボールの進化に伴い、駆け引きを伴ったプレーに変質していった。
たとえば相手にボールが見えないようにわざとからだでボールを隠したり、タイミングをずらしてひっかけさせようとしたり。
 しかし、いくら技術が進歩してもやはり、相手があっての卓球である。個人プレーや自己中心プレーでは試合にならない。
 相手が打ちやすいというとお人好しになりかねないけれど、相手が打ちやすいということは逆にいえばわたしが打ちやすいようでなければならない。
 結論。落ち着いてリラックスすること。

 ② 球をよくみること
 速球についていけないのは、球をよくみていないから。
 しっかり最後まで見ていけば、ついていける。
 ラケットの面の方向をみること。たとえばフォアでもラケットの面をみればどういう打球がくるか予測はできる。
 
 ③ 思い切りが足りない
 逆回転の球を打ち返すとき、カットが有効なテクニックだけれど、思い切りが足りないために中途半端になってしまう。下からすくい上げるように、フィニッシュは敬礼のようにラケットが顔の前にくるようでなければ。
 
 
 練習を続けていくこと。これが上達の道である。
 王道なんてあるわけはないからね。