小さな変化があると気持ちも変わって2006/04/24 22:57:31

 先月の新聞に、単身赴任向けの食材宅配サービスの記事を読んで興味を抱いて、宅配を頼んで2週目になります。
 レトルトではなく、真空パックされたお肉や魚などをお湯で温めて、コンビニのごはんに乗っけて食べる。コンビニのおにぎりもいろいろ変わってきたようですね。インスタントラーメンのスープの味付けがあったり、みそ漬けだったり。
 なんかビンボーそうだなと苦笑しつつ、ま、いいかと開き直っているのでした。この食材宅配サービスも個人に合わせてはいないけれど栄養を考えたメニューだそうですから、以前のように毎晩カレーだのラーメンだの、という外食中心の乱暴な選択よりはまし。
 2人前からは材料を調理するのだそうで、本当はこっちにしたかったけれど帰宅が遅かったり調理する時間がなかったりでは、もったいない。

 とまれ久しぶりに自炊めいたことをはじめて、気分はいいですよ。小さな変化があると気持ちも変わってきます。

集中しているからかな2006/04/26 23:36:19

 仕事もプライベートも集中していると、痛みも苦しみも忘れられるというか感じることがない。それだけ、気持ちを張りつめているのだろう。

 携帯電話やメールなど、コミュニケーション手段やツールがあるというのは便利なものだけれど、しかしそれに引きずられてしまっては本末転倒のように思える。
 今日の新聞朝刊にいまどきの高校生の、携帯メールでのやりとりからセックスにいたるまでの恋愛事情が取り上げられていた。
 わたしの高校時代は携帯電話なんてなかったし、コミュニケーションというと電話か手紙しかなかった。それだけ時間がかかるということはわかった上で、デートだの告白だのということにチャレンジしていたのだけれど、いまの若い人たちは手軽にコミュニケーションができる半面、その間隔が長いと「間が持たない」といってあっさり関係を切ってしまうのだそうだ。メールを送ってすぐに返事がなかったら気がないのだとあきらめてしまう。つきあうようになったらセックスも簡単にからだをゆるしてしまう。
 表面的な、ドライな関係なのだろうか。あっさりというよりは乾ききったような印象を、記事からうけた。

 自分のことに目を向けてみると、今日で携帯電話を持ち歩かずに過ごしたのは3日連続。3日前はニュース速報ばかりでメールは一通もこなかった。
 昔ならメールがこないと気になったけれど、慣れてしまったのか気にならない。なかったらないでいいんじゃないか。なかったからもうおしまいではないだろう。なくても生きていけるしいくらでも楽しみはほかにある。

 便利な社会になったということはモノがたくさんあるということであって、こころのありよう、豊かさということとイコールではない。
 しみじみ、わたしたちの生きている「いま」を考えさせられる。

こころからの感謝を忘れてはいけない2006/04/28 23:35:09

 たまたま立ち寄った古本・CD・ゲームショップをブラブラあてもなく店内を回っていたら、「Gメン75」の文字が目に入った。
 昨年このドラマがDVDになったことは知っていたが、主題歌などCDはかなり前にみたことがあるだけ。ドラマ内で使われた曲などをオムニバス形式でまとめたものしか知らなかった。
 今日みつけたのはその主題歌を歌っていたしまざき由里さんの歌が収められているもの。オムニバスではない。聞いていて懐かしかった。しまざきさんというと、はるか昔幼いころに聴いた「みつばちハッチ」があるけれど、このようなしっとり歌い上げる歌も残していらっしゃる。

 ついついこれを手話にしてみようかなどとたくらんでしまうのだ。
 ああ、どうしようもないなぁ。

 話は変わって。

 今晩のメニューは豚肉の卵とじ。付け合わせはサラダを買ってきた。
 材料を切ったりいためたり焼いたりというほどではないけれど、家でつくって食べるようになってから、翌日が早起きになって、からだにいい習慣になってしまった。
 家族がいて、毎晩の材料を買いに行ってつくってというのはホントたいへんだと思う。いまはまだいないけれどいつかは宅配ではなく、つくって食べる喜びを味わえる日を楽しみにしつつ、この宅配にしろ、つくってくれる人にはこころからの感謝を忘れてはいけない。

5月1日に思う2006/04/30 23:13:35

 最近はテレビ中継をみなくなった、F1グランプリ世界選手権。
 来年は春に富士スピードウェー、秋に鈴鹿サーキットでと、1国1レースという伝統からはずれて2レースを見ることができる。この1国2レースということを思い出すとき、どうしても忘れられないのは、いまから12年前のことだ…………。

 12年前も、日本で2レースが開かれていた。
 この年は春に岡山県の英田にある、英田T1サーキットで「パシフィックグランプリ」という名称でレースがあり、秋に鈴鹿で「日本グランプリ」が開かれるスケジュールカレンダーだった。

 この年はいまふり返ってみても不思議な、ある意味のろわれていたシーズンだった。
 ウィリアムズに移籍したアイルトン・セナが開幕戦からこのパシフィックグランプリまで一度も勝つことがなかった。セナが衰えていたわけではなかっただろうし意欲も失せていなかったはずだ。
 しかし悪夢が訪れた。よりによってセナが生涯走りたいと望んでいたと言われるフェラーリチームのホームコース、イモラで。

 イモラサーキットは、わたしが社会人になったその年のサンマリノグランプリで、ゲルハルト・ベルガーがタンブレロ・コーナーに激突、マシンが炎上してベルガーが大やけどをしたことを覚えていた。仕事中であったがテレビのスポーツニュースで大きく取り上げられていた、クラッシュの生々しい映像はいまでも覚えている。
 そのときと同じ、イモラのタンブレロ・コーナーでセナが事故死した。
 あの日友人と近くの食堂で食べて、「そういえば今日はF1中継があるね」
と話し合っていたその時間、遠くイモラでセナが死んだ。フジテレビの中継の直前に他のテレビ局がテロップで「セナ事故死」を伝えたとき、卒倒しそうになった。セナが死んだ? うそだろ? しかしコーナーを飛び出すように、時速300キロから激突直前に200キロ台に減速したとはいえ、あのコンクリートウオールにぶつかりサスペンションアームが折れ、ヘルメットを直撃した(のちに伝えられたところではその衝撃は100Gだったという)のでは、たまったものではない。

 今年のサンマリノグランプリは、新鋭の若手ドライバーとしてセナを追いかけ、あの12年前、まさしく間近で事故を目撃した、ミハエル・シューマッハーが優勝した。事故当時、シューマッハーの乗ったF1マシンの搭載カメラから撮影された、セナのマシンがぶつかった瞬間は衝撃的だった。ましてドライブしていたシューマッハーには忘れようとしてもできないものだろう。ベテランになった彼にとって、アイルトン・セナという存在はもう追いかけたくても追いかけることができない。記録を塗り替えることができても追いかける存在がいないのだから。

 12年が経ち、あれから死亡事故はなくなった。
 だからといって安全になったわけではない。
 セナが天に召された年と同じく、来年また、日本で2レースをみることができる。
 その喜びをかみしめるとともに、死と隣り合わせの世界で生きている彼らを思う。

 セナが残したもの。
 F1ドライバーとしての記録もさることながら、生をひたむきに生き、厳しくも挑戦的に生きようとしたことではないだろうか。それはときとしてマスコミや他のドライバーとのあつれきを生んだけれど、挑戦的に生きたからあのような最期をのこし、大きな感動を与えたのではないだろうか。

 セナがいなくなったのは5月1日。