どんな境遇状況下にあってもなお2006/04/16 23:42:25

 今日は教会のイースター礼拝を休んで障害者団体の集まりに参加した。
 教会の行事と重なることがいままでもあったしこれからもあるだろう。
 遊びでない限り(もっともわたしは遊びで礼拝を休むつもりは全くないけれど)礼拝に出られずともわたしは、与えられた場で神さまを思い、祈り、み言葉を思う。手話ソングダンスのステージであろうと卓球の試合であろうと、神さまからいただいた、生かされている場なのだから。

 雨の日は傘を忘れることがしょっちゅう。そそっかしいというかみっともないというか。
 で、今日の障害者団体の集まりから帰る途中、駅のベンチであやうく傘を忘れるところだった。気づいてベンチへ戻って傘を取ってから地下鉄に駆け込んだのだけど、ベンチへ振り返ってみたら初老の男性が手話で「気をつけなさいよ」と言ってくださった。
 補聴器をみてわたしが中途難聴だとわかったのだろう。
 
 こういう何気ない会話があると、ホッとする。

 その前にレンタルCDショップで、故本田美奈子さんの遺作「心を込めて」を、朗読のBGMに使う別のCDとあわせて注文した。
 
 亡くなってはや5カ月になる。
 会うことはないけれど、CDから流れる透きとおった美しい声を聞くたび、悲しみと勇気をうけとっている。
 人は何らかの生きる意味や目標を与えられて生き生かされている。
 本田さんにとっては歌うことであり病の中にあってもなお、希望を失わずに歌うことが生きる意味だったのだろう。

 人は生きる意味があり、ひとつもむだないのちはない。
 そしてその目標に向かって生きるとき、すばらしいなにかをのこすことができるのだ。どんな境遇状況下にあってもなお、勇気と希望を失わずに。