一球一球が大事 集中力が大事だということだ。2006/03/02 23:57:30

 先週の試合で負けてからまた練習を始めた。アジャストができていないという新たな目標ができた。  一球一球が勝負。  フットボールでもジャッジのホイッスルが鳴るまではプレーが続いているのと同じ。ボールから絶対に目線を切らないこと。  最後までボールを見る。  集中力が大事だということだ。

久しぶりのレッスン!2006/03/06 22:46:20

ミニディスクプレーヤー
 いろいろ予定が重なって今日が3月最初の手話ソングダンスレッスン。
 お休みしているあいだに新しい曲がすすんでいた。わたしは覚えていないから追いつくのが大変(^。^)。

 「思い出ぽろぽろ」というアニメの主題歌になっている「愛は花 君はその種子」。
 おやっと思ったらなんと、映画「Rose,the」でベット・ミドラーが歌った「The Rose」の日本語版だ。

 う~ん。なかなか味があっていい。
 曲の出だしからオリジナルをほぼ踏襲しているのだけど、直訳ではなく意訳された歌詞もまたいい。オリジナルにはない、ナイフ(のように突き刺す)という訳もストレートながら意味がよく感じられる。

 オリジナルのベット・ミドラー版もASLで覚えたのだけれど、日本語版も覚えたらより広がるのではないだろうか。

 海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」はオリジナルを覚えていないけれど1994年に発表された英語版を覚えて今日、みんなが来る前に練習してみた。

 そうやって表現の幅を広げたら、もっと豊かなステージができるに違いない。

春のうららの隅田川♪2006/03/08 23:11:49

 というわけで(なんだ?)滝廉太郎の歌を思い出したのは、暖かい日がここ数日続いたから。梅の花が咲いて桜も今月末にはひらくのだろうか。

 季節が変わる、春という時期は何とも言いようのない複雑な気分を感じる。
 出会いがあり別れがあり、学生時代がそうだったけれど社会に出てみるとこれまた憂うつな気持ちを抱かせる。

 けれども自分ではどうにもならないものがあり、同じように他人にすればどうしようもないものもある。
 できることを全力を尽くしていけば、いつかは道が開けるのだろう。

 春。雪に埋もれていた種が、おひさまの愛で花ひらく(「愛は花 君はその種子)」。
 そう信じて、ゆっくり歩いていこう

経費節約(^。^)2006/03/12 23:29:41

 以前つくっていたプライベート名刺が切れてしまい、年明けから困っていた。
 いつものように文房具店に注文してもいいのだけれど、ファクスでゲラを
確認するのはめんどうだし、なによりお金がかかる。
 
 そう思っていたところ、あるラベルメーカーが名刺やステッカー、宛名など
のフォーマットをつくっているのを知り、ネットでダウンロードしてさっそくつくってみた。

 教わるより慣れろとはよくいったもの。悪戦苦闘してデザインから字体からいろいろ組み合わせて2日ほどかかってようやく、2種類の表デザインと共通の裏デザインができあがった。そして都内の文房具店に行き、この会社がつくっている名刺用紙を購入して、プリントしてみた。

 う~ん。
 出来上がってから郵便番号を間違えているなどいくつか失敗があったけれど、おおむねのできあがり具合は悪くない。
 400枚を印刷してみた。
 文房具店や印刷会社に同じ枚数を注文したら、結構高くつくだろうね。
 自分の思い通りにデザインして、好きなようにアレンジできる。
 
 経費節約とつくる楽しみの一石二鳥だ。

歌詞ボード これからどんな思い出を刻むのでしょうか2006/03/13 22:57:37

 今日は手話ソングダンスのレッスン日だけれど風邪がはやっているためおやすみ。

 いつもならみなさんがそろって集まりにぎやかな会話が咲いている時間に、昨日模造紙でつくった歌詞ボードを加えてこれまでつくったものとまとめて整理しながら2年間の歩みを思い出しました。

 模造紙をくるくる巻いていて、小学校時代を思い出しました。
 小学校の4年生から卒業までを足立区の小学校ですごしました。先日その小学校の近くにある商店街にあるお茶屋さんを営んでいるという女性にお会いしてきました。なんと彼女は小学校の同学年なのです。30年ぶりに会ったら「雰囲気が変わっていない」といわれてフクザツ。
 小学校時代模造紙で壁新聞をつくっていました。何を書いていたか忘れましたけど楽しい思い出があります。
 模造紙の歌詞ボード一枚一枚に思い出がありますね。
 これからどんな思い出を刻むのでしょうか。

パフォーマンスアート2006/03/15 23:07:16

 カテゴリ上は手話ソングダンスなのだけど今回はちょっとずれて。

 3カ月ごとに通っている、カルチャーセンターの朗読教室は、毎回最終回をミニ発表会にあてている。
 過去にも何回かやってみたのだけれど今回、また手話つき朗読をやってみることにした。

 手話表現。通訳、日常会話、いろいろな場面で違いはあるけれど今回のわたしがやろうとしている朗読つき手話は言ってみれば舞台劇でもある。
 ラジオ朗読の場合だと声しかないから、聴く人のなかにイメージをわきあがらせるような表現が要求される。今回の場合は声もさることながら手話表現の正確さも大事だし、わたし以外は手話がわからない。

 で、ふつうの役者さんと同じように登場人物になりきったり場面ごとに声のトーンや声色を変えてみたり、いままでやったのと同じ声だけの演技と手話、さらには身体をフルに使った演技を試みてみようと思う。

 やってみて毎回難しさとともにやりがいを感じる。
 だからおもしろい。これは手話ソングダンスと同じだ。

 わたしは生涯取り組みたいこととしてパフォーマンスアートがある。
 豊かな表現を身につけたい、もっとうまくなりたい。そしてわたしがすべてを尽くして表現し、感動していくこと。

 ライフワークだと言っていい。

手話つき朗読にチャレンジしてみた2006/03/18 23:51:10

 朗読の発表会で手話つき朗読にチャレンジしてみた。

 いすがふたつだけの簡素な舞台。聴いている人たちはわたしを除きみな、健聴者です。あいさつくらいなら手話がわかるという程度がお一人だけ。
 ときにいすに座ったり立ち上がってみたり。ナレーション場面では感情を入れず、せりふ場面では感情を込めたり抑えたり。登場人物にふんしたり心理描写を交えたりと、工夫をしてみました。
 講師からは「語りの間合い、手話表現など自然に出ていた。動きも登場人物や物語に合わせて自然に動き、舞台いっぱいに動いていた」とおほめをいただきました。
 朗読仲間からは「いままで最高のできだったよ」と言われましたが、めっそうもない思いです。
 でもますます、表現するという世界にひかれてきました。
 もっともっとうまくなりたい!

野球がBeseballを超えた日2006/03/22 23:11:28

 わたしの世代は小さいから親しんでいたスポーツといえば、男の子なら野球、女の子はどうだろう。バレーボールあたりだっただろうか。
 その野球、今年は大きな転換の年になるかもしれない。

 2006年3月、ほぼ1カ月をかけてひらかれた、WBC(2006 World Baseball Classic)。
 その初代チャンピオンに日本のプロ野球とメジャーリーグから参加した2選手を含む、日本代表チームが輝いた。
 当初から紆余曲折のあった日本代表チームだった。
 メジャーリーグから当然参加するものと思われていた松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス)だが、松井はワールドチャンピオンを目指す理由で、井口はメジャー2年目のためチームで調整したIいという理由で、それぞれ参加を辞退。ほかにもけがでやむなくあきらめたりはずれたりした選手もいた。
 
 わたしは松井や井口の決断も、それはそれで尊重したいし、プロとして当然ありえることだと思う。松井はヤンキースで主力だけれども、ワールド・シリーズにはまだ縁がない。井口は昨年チャンピオンになったけれども、2年目もそうなるとはいえないし、第一、今年もホワイトソックスで活躍が保障されるとはいえない。下からも同僚からも当然突き上げられる。弱肉強食だから当然のこと。

 しかしイチロー(シアトル・マリナーズ)が日本に帰ってキャンプから一緒に日本代表として練習し、アジアラウンドからアメリカでの本戦までをともにしたのもまた、尊重できる。
 なぜなら彼は日本でもアメリカでも優勝という経験がない。個人記録なら十分すぎるほどの実績があるけれど、チームとして優勝を味わったことがない彼にとって、日本代表というものに「優勝」への渇望を抱いていたのもたしかだからだ。

 野茂英雄がメジャーにわたってから何度も、メジャーをみてきた。
 やっぱり基本的動作、投げる、走る、打つという点でけっして、アメリカは劣っていない。ヤンキースの内野手が腰を落としたまま、内野の奥深いところから(日本ならまず無理な位置から)送球するのを見たとき、かなわないと
思ったものだ。ホームベースでのあの迫力あるクロスプレーは、日本人では対応しきれるだろうか。へたをすると吹っ飛ばされかねない。
 けれども、アメリカはおおざっぱなプレーに頼っているという感じが否めないのもまた、たしかだ。 
 豪快なホームランも、スピードに頼った剛速球も魅力では、ある。
 が、ホームランばかりでは味気ない。いくらスピードの速い球を投げることができても、正確なコントロールがなければただの球でしかない。もちろんロジャー・クレメンスを代表例とするいまのメジャー投手陣がノーコントロールではない。しかし今回のアメリカ代表チームは、どちらかといえばビッグネームとパワーに頼った部分がある。加えて組織としてまとまっていたかどうか。
キャンプを切り上げて急きょ合同したような、そんなチームではたして、決勝まですすむことができたか。
 日本代表がイチローを中心にまとまっていたのとは対照的な、Beseballの母国の姿を、とても残念に思う。

 野球はやはり走って投げて打って、その総合だといえる。
 いくら力に頼っても、基本的なそれら動きがきちんとできていなければ、勝てない。決勝でも対キューバ戦で、三塁手の判断の遅れから内野安打につながったように、基本的な動作と判断が失点につながったことを忘れてはいけない。

 運営ではアメリカに有利になるような日程編成だったり、審判のレベルが低すぎて誤審どころか、そこまでして勝ちたいかとさえ言いたい、アメリカ代表チーム、相手は日本とメキシコだった。そんなこそくなことをしてまでBeseballの母国でありたいのか。むしろ堂々とぶつかってくれたほうがまだ、すっきりする。このへんがアメリカのずるいところだ。

 しかしアメリカは転んでもただでは起きない国でもある。
 今回初代王座を日本に奪われたことで、本気で挑んでくるはずだ。またそうでなければならない。繰り返すがBeseballはナショナル・パスタイムなのだ。

 これで日本がワールド・チャンピオンとなったのはバレーボール(男女、五輪)についで3競技目。2つ目はアメリカンフットボール。これはアメリカが不在でのワールドカップだった。1999年イタリア。2004年ドイツ。そして2007年には川崎で開催される第3回大会に、アメリカとカナダの参加が予想されている。どんなレベルか未知だけれども、アメリカを倒してこそほんとうのチャンピオンだ。

 アメリカの新聞も見出しに書いた。「野球がBeseballを超えた日」
 そう。
 日本が誇る、スピードとテクニックの野球。

夜桜2006/03/29 23:47:13

 仕事から帰って買い物をしてからバスに乗ったはいいけれど、寝過ごして遠回りどころかとんでもないルートで帰った夜。

 自宅近くのバス停のある通りが満開の桜で美しい。
 桜は散ってしまうから美しいのかもしれない。

 買い物で何を買ったかというとバラの花。
 バラも美しい。色とりどりのバラが並んでいた。

 バラというとフォークソングの「バラが咲いた」も思い出す。
 
  散ってしまったけれど いつまでも散らない真っ赤なバラ

 自然の営みはなんて美しいのだろう。それにくらべて人間のすることの、なんと愚かなことか。

ひとりになっても2006/03/30 23:16:36

公園に咲いた桜
 今日はいつものように卓球のある日。けれどいつものメンバーが姿を見せない。

 おおよそのことは想像できた。
 みんな高齢になって外に出るのが難しくなってきたということだと思う。

 けれど今日は、コーチが来ていらしたのでお相手をお願いして練習することができた。
 収穫があるとすれば、緩い球を何度も返すことができた。いままでできなかったわけではないのだけどドライブやスマッシュを打てるようになればプレーの精度が上がる。意識して緩い球でも目線を切らずに打つ。

 自分からやりたいと言って入った同好会だから、自分からはやめるとは絶対に言わないしやめることはない。
 けれど、高齢化やさまざまな要因で来る人が少なくなって自然消滅あるいは解散ということになるのであれば、時代の流れとして受け入れたい。

 周りがどういうことになっても、自分を信じて自然体でいよう。
 周りのためにやるのではなく、自分が楽しみたいからやるのだ。