ハートビル2006/01/30 22:09:42

 手話ソングのイベントなどで昨年何度か宇都宮に旅行に行ったことがある。ギョーザがおいしかったし、いつかじっくり訪れたい街だ。
 ビンボー社会人のわたしは定宿にしているのが、宇都宮駅近くのホテルだ。そこは食事はそこそこおいしいし低料金ということもあって好印象を抱いていた。
 が、横浜の同系列ホテルが役所に建設届けを出した後、身障者のための部屋を会議室に造り替えたり身障者用駐車場をつぶしたりと、偽装工作を行っていたことが伝えられた。報道ではホテル会社のオーナーが「身障者は年に1回か2回しか利用しない」と効率優先であることを暗に認めた発言をした。
 
 言語道断というほかない。
 ホテルはホステル、ホストが語源といい、もてなすということを最大の目的にしている。旅の途中で疲れた人、あるいはこころに安らぎを求めて訪れた人をもてなし、「どうぞごゆっくりおやすみください」というのがホテルである。以前ここでも書いたアメリカ・オレゴン州のあるホテルは、事前に難聴者であるわたしが泊まると聞いて「何かあったら困るだろうから」と火災や事故があったときに光で知らせるランプをベッドサイドにおいてくれた。言葉も十分通じない異国に来て、こういう配慮をしてくれたのは何ものにも代え難いうれしいプレゼントであった。

 偽装を行ったホテルの経営者は、節約ということを目的にしていたそうだが、節約でおもてなしを削るという発想だとしたら話が違う。どんなに高価な部屋や内装であったとしても、おもてなしのこころがなければ、人は泊まろうとは思わない。おもてなしのこころがなくなったホテルはホテルとは言えない。

 効率や経営を一概に否定するつもりも考えもない。経営者としたらむだなお金はかけたくないだろうし、それが当然だ。
 だが削っていいものといけないものとを見極め、利用者の立場になって考えることが出来ない経営者でも困る。
 もし効率で削ったとして、ホテルで事故や火災が起きたとき、どうするのだろう。いまわしい過去のホテル火災事故を思い出す。
 
 ハートビル、身体障害者にやさしいというのは表向きであってはいけないし利用者として困る。 
 表面的なやさしさではなく、利用してよかった、また利用したいと思われるようなやさしさ。それが真に身体障害者にやさしいということではないだろうか。