歩き続けること それが道になる2006/01/24 23:35:59

 手話ソングをはじめて今年で3年目。10月12日が満3年になる。
 やりつづけてきて、まだまだだと思う一方でだからこそ、続けることが大事だし、伸びるのだと感じてもいる。

 自分の気持ちがこもっていないと伝わらない。
 だが、思い入れや気持ちの込め過ぎもかえって独り芝居以下の単なる演じることにすぎない。
 手話だから聞こえない人も聞こえる人にも通じるようでなければ。

 学生時代、何がいやって数学、体育、音楽の「3点セット」がいやだった。
 数学は小学校4年生でつまづいてから開き直って「生活する上で必要な計算だけ覚えればいい」と、高等公式などとっくに忘れてしまった。これでよくアマチュア無線の免許を取れたものだといまさらながらあきれる。体育はからだが小さいからどうしても無理な種目があって、球技はからきしだめ。格闘技も弱い(女性教師に相撲で負けたほどだ)。スピードを気にしなければなんとか楽しめたのが水泳とスキーくらいか。バレーボール、バスケットボールはからだの大きい人向け。ネットに届かないから嫌いだ。いまはかなり違ったようで、女子バレーでもからだの小さい選手が活躍できるのはうらやましい。

 で、残ったのが音楽。
 音痴というか、きちんと音程があっているかどうかでいじめにあって、カラオケならまだいいけれど合唱なんてもう逃げ出したい。
 
 それがどうしたことだろう。
 数学はもうどうでもいいけれどスポーツはやるほうは卓球、見るのはアメリカンフットボール、あのだ円形のボールを、からだのわりには遠投できる。
 手話ソングは、聞こえないけれど声が出せて手を使って表現できる。

 教会で賛美歌を歌うときも、じぶんなりの手話訳をつくったり、礼拝中にからだ全体を使って表現することもある。

 先週日曜日の礼拝で言われたことが忘れられない。
 「あなたは耳がきこえないけれど声が出せて手も使って歌うことができる。それは大きな恵みではないだろうか」

 聞こえないかわりに小さいからだで表現する楽しみをいただいた。
 手を使って歌う。手話を学んでいくなかからその喜びも感じた。

 自分に与えられたいただいた大きな恵みを、フルにいかしていこう。それが神さまにおこたえする一番の道だろう。
 
 この道を歩き続けよう。歩き続けることが、たしかな道になる。