ブログ開設!2006/01/08 22:33:22

 インターネットの世界にはまって10年近くになります。
 このたびブログ「やさしい手のひらで 今日もわたしは歌おう」を開設しました。

 まず自己紹介から。
 重度聴覚障害者(手帳1種2級所持、左右115db。ともに補聴器をはずすとほとんど聞こえません)の男性。
 趣味はスポーツ観戦、読書、映画鑑賞、エッセイ執筆。好きなスポーツはプレー経験はありませんがアメリカンフットボール。プレー経験のあるものは卓球、水泳。

 2002年から朗読と手話を学び、2年前からアメリカ手話(ASL)も学び始めました。
 
 学生時代は音楽の授業が嫌いで、口元に耳を寄せて音程の悪さをからかわれたトラウマがあります。しかし高校時代に弁論大会に出場したときは、聞こえないことも音程の悪さもまったく気になりません。わたしの声を聞いてくれる、存在を認めてくれる人がいる。手話を始めて2年後の2004年に手話ソングダンスグループ「フライングハンズ」に入団、朗読と手話ソングダンスで「表現する」ことの感動や喜びにめざめました。

 日々の雑感や好きな音楽、これまでに出会った曲の思い出などをつづっていきます。

 どうかよろしくお願いいたします。

長い道のりを終えようと2006/01/09 00:18:53

 14年近く、抑うつをわずらっていました。

 当時取り組んでいた仕事の内容は、それはそれでいいものだし意味がある(あたりまえ!)のですが、職場では聴覚障害者はわたしを入れてごくわずか(名前を出せば誰でも知っている会社です)。周りは聞こえる人ばかりという状況で、コミュニケーションがうまくいかない。まだ手話を学んでいませんでしたからことさら自分が孤独で周囲から浮いている、切り離された存在だと思いつめていました。

 先週心療内科の外来主治医の診断を受け、とりあえず一カ月間薬をやめることになりました。
 といっても無理をしてやめるのではありません。少しでも気持ちがきついな、しんどいなと思ったらちゅうちょせずに薬をのむことにしています。保険代わりではありませんが手元のピルケースにパキシル・リーゼともにいれたままにしておいて、どうしようもなくなったときにのむということです。1カ月後に再度経過報告と診察を受けて、異常がなかったらもうのまない、ということになるでしょう。

 長い道のりでしたけどようやく一応のめどが立ってよかったとひと安心です。

2巡目の「成人式」2006/01/09 23:12:58

 そういえばと思い出したのは、きょうが成人の日だということ。

 成人式はもう20年前のこと。すっかり忘れてしまいました。
 あんまりうれしくなかったし参加したいとも思わなかったのを覚えています。いじめられていたから、クラスメートに会いたいとも思わなかったし。

 街を歩いていたら気のせいか、振り袖姿やスーツ姿の若者をあまりみかけませんでした。少子化が進むだろうこれからは、成人式以前に若者が少なくなっていくのだろう。晴れ着などのセールスもたいへんだろうな。

 2巡目の成人式、といってもピンとこないか。
 人生80歳時代にあるいま自分の年齢をみつめて、人生をみつめる機会としたい。2回目の「20歳」、そしてこれからの40年をどうデザインしていきたいかいくのか。それを考える機会ではないだろうか。

これって禁断症状?!2006/01/10 23:04:09

 抑うつの薬をやめてから3日になる。
 今日仕事中、おなかが張る、おう吐感のようなものがあった。あるブログやホームページを見ると、パキシルという薬をやめてしばらくしてから胃がむかむかするなどの症状が現れるらしい。といっても個人差があり、まちまちなのだそうだが。
 
 しかし気にするほどではない。一応食欲はあり、実際いまも食事を終えて帰ってきたばかり。

 朝のスタートがよくないなど、うまくいかないと思っても、それがあたりまえなのだと、いい意味でプラスに受け取ろう。波の繰り返しを重ねていってだんだんふつうに戻っていくのだから。

光でお知らせ2006/01/12 00:02:55

お知らせランプ
 聞こえないという障害は見た目では分かりにくい障害であるとも言える。
 なにせ通じているかいないかという不安だけでも聞こえる人と聞こえない人のあいだに横たわる。そして通じていないという不安がお互いを理解しがたいものとして認識させますます、お互いの間にある壁が高くなっていく。

 聞こえないということをわかってもらうということも大事だが、同時にどうしたら聞こえないということを伝えられるか。

 これは職場につけたランプである。
 10年ほど前、アメリカ・オレゴン州を訪れたとき、宿泊先のホテルが「難聴者だから何かあったら困るだろう」と、ベッドサイドに光の点滅で、火災や災害の発生を知らせてくれるランプを設置してくれた。とても配慮の行き届いたサービスに感動したのだけれど、オレゴン州から隣のワシントン州を訪れたときに、訪問先から記念にといただいたのがこれである。
 写真では分かりにくいだろうが、振動で点滅するつくりになっている。
 ついたてに引っかけて固定してあるのだが、ついたてやランプ周りをノックすると振動で点滅し、人がきたと知らせてくれるのだ。
 
 難聴者やろう者にとって苦痛な状況はいろいろあるけれど、医療現場でのコミュニケーションやインフォメーションの獲得も難しい。手話ができる人ばかりではないから、声をかけてほしいなどお願いするにもつい、遠慮してしまう。

 写真撮影ができなかったのだけど人間ドックのため昨日訪れたある病院では、X線撮影の時に「息を吸ってください」「息をはいてください」と字幕の入った光で知らせてくれた。しかしこれも限界がある。X線撮影でからだの側面を撮影するときは、ランプが見えない。まさかからだをひねるわけにもいかないから、お年寄りは困るだろうな。

 けれどもないよりはあったほうがいい。
 なにげないようだけれど、ちょっとした工夫で、お互いの壁が一気に崩れてしまうこともあるのだ。

からだが動ける!2006/01/14 23:00:18

道具一式
 年末年始に風邪をひいてさんざんな出だし。
 しかし仕事始めからだんだんペースが戻ってきて、昨日は今年最初の卓球練習があった。

 う~ん。
 エンジンのかかりが悪いのか最初はミスを繰り返したけれど、だんだんいつもの感じが戻ってきた。

 卓球は小学校時代にクラブ活動でやったくらいで、実質20年近くのブランクがあった。はじめに買ったラケットはラバーを張った入門者向け。練習を重ねるうちに物足りなくなってきて、ニッタクのシェークハンドラケット、プリモラッツ・カーボンにプライスという強打が打てるラバーを張り、同じラケットをもうひとつつくって使い分けている。

 みなさん楽しんでやっているご様子。
 競技者志向の人も健康づくり目的の人も、さまざまだ。シェークハンドラケット(握手するように握るグリップ)、ペンホルダー(ペンを持つように握るグリップ)、回転をかける打球の人、卓球台から下がって打つ人。
 わたしはどうも「前へ前へ」というくせがある。しかも使っているラケットはちょっと力を入れても強打、速い打球になってしまう。前へ出たがるくせを抑えつつ、フォアで目いっぱい打つのが好きなスタイルだ。たとえは乱暴だけれど、技巧派ではなく、目いっぱい殴り合うというところか。

 卓球でもリズム感が養われるのかもしれない。
 初めはポンポンとワルツ風、だんだん慣れてくるにつれてジャズ風、どんどんハイスピードになっていくとロック風(笑)。

 ひとりよがりのペースでは練習になっても試合にはならない。
 相手のペースをつかみながらいかに自分のそれに引きずり込むか、相手のペースにひっかからないか。駆け引きもおもしろい。

 からだが動けるという喜びを感じつつ、今年ももっとうまくなりたい。

行ったり来たり2006/01/15 21:55:29

 薬をやめて一週間がたった。
 胃がもたれるとか手足が震えるとかいった身体症状があまりない(たまに膨満感があるけれど食欲はちゃんとあるのだから大丈夫)けれど、気持ちのイライラはたまにある。
 けれどそんなの、たいしたうちに入らない。
 
 新しい年に入ってまだ2週間しかたっていない。
 まだやらなければならないことやりたいことがたくさんあるではないか。

 いまはできることにだけ集中して、よけいなことは視界からはずそう。
 それが一番なすべきことだ。

笑顔2006/01/16 22:59:15

 今日は今年最初の手話ソングダンス、フライングハンズのレッスン日。 
 久しぶりに仲間と会い楽しかった。悩まされていたせきも今日はまったくなく、回復したのだろうと思う。

 ダンスステップもまあド忘れしてしまうことがあるけれど昨年のような、どうしようもないレベルではない。ゆったりと余裕を持って臨める。片手日本語、片手ASL(アメリカ手話)の数字を表すトレーニングも、スピードはさておき迷うことはなくなった。

 さて本題。
 昨年、わたしの誕生日の3日前に亡くなった本田美奈子さんのカレンダーが届いた。
 カレンダーは笑顔の本田さんがたくさん写っている。
 2枚目をめくると病床で書いたという「笑顔」という詩がある。

 一部を引用しよう。

    心が開いて、心の目で周りを見渡してごらん。きっと
    小さな幸せの芽が見つかるよ。そして、そこから少し
    ずつ笑顔が生まれてくる。笑顔が生まれはじめたら
    喜びに変わるのも もうすぐ。

    でも、人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止ま
    らず心を開けないとき 勿論沢山あると思う。
    そんな時はあせらないでね。自分だけが不幸ではな
    い。もっと心が暗闇に閉じ込められている人たちも沢
    山いる事を、少しだけ思い出してみて。

 ほんとうにしんどいときは冗談じゃない! と叫びたくなるほどなのだけど
本田さんはそんな時はあせらないでね、と諭してくれる。
 
 彼女にはもうこの世では会えないのだけど、いつか会えるときはくるだろう。
 彼女をみて、人はなにかをするために残すためにいのちを与えられたのだとあらためて思う。
 彼女の笑顔を大切に保存して、この「笑顔」という詩も保存し、いつまでも
ちょっとだけつらくなったときは読み返していこう。

一歩進んで自分から壁を壊すきっかけをつくろう2006/01/17 23:51:16

耳マーク
 今日は人間ドックの日。
 いつもこういう医療検査のあるときはコミュニケーションがしんどく感じる。
 注射くらいならまだ、痛いだのギャアギャア騒いではい、おしまいということもできるが、レントゲン検査だのバリウム検査だのというのは、検査医師の指示が聞き取れなかったりわからなかったりで、ギャアギャアわめく以前に、もどかしさがつのる。

 今日受けたのは超音波検査と胃バリウム検査。
 おなかのなかを超音波で診断する検査は、若い女性医師がすぐそばで身振り手振りで息を吸う、吐くと指示を出してくれたけれど、バリウム検査は検査台の上に乗せられたわたしを、遠隔操作で機械を操作しながら指示を出してくださった。医師も操作しながら指示を出すのだからたいへんだと思うのだけど、身振りだけではわからないこともある。仰向けになって、うつぶせになってとあちこち動き回ってようやく終わった。しんどい(^.^)。

 耳マークというものをみたことがあるだろうか。
 見た目だけでは分かりにくい中途難聴者・失聴者が、障がいを言い表す恥ずかしさ、苦痛をやわらげ、しかし障がいを伝えるためにとデザインされたものだ。最近は病院や公共機関でこの耳マークを掲示して「手話や筆談ができます」とアピールしてくださるところも増えたが、なかなか一般には知られていないところでもある。

 職場の壁にマグネットで張り付けておいた。
 これをみればだいたいのことはわかるかもしれない。あ、あいつは耳が不自由なんだということくらいは。

 壁を壊すのはたいへんな労力がいるけれど、一歩進んで自分から壁を壊すきっかけをつくろう。それがゆっくり自然に大きな波になっていくのではないだろうか。

あれから17年2006/01/18 21:43:19

 あれからもうそんなに経ったのか、がひとつ。そしてあれから何か変わったのだろうか、というのが次に。

 1988年から89年にかけて埼玉・東京で起きた幼女連続殺害事件の最高裁判決が出た。被告は死刑が宣告されたが、判決後に面会した大学教授に「何かの間違い」「いつか無罪になる」と語ったという。翌日その大学教授との面会では「幻聴に悩まされている」と語った。口では「無罪」といいながらひょっとして死への恐怖におびえているのかもしれない。

 あの事件当時わたしは社会に出るかでないかという時期だった。東京に就職でやってきて直後の大きな事件だったから印象がとりわけ強く、あのころからだんだん「この国は壊滅していくのではないか」ということを感じていた。言い換えれば何かがもろくなっていくのではないか、と。

 昨年栃木・広島・京都で次々と幼い少女がいのちを奪われる事件が続いた。事件直後、自宅を朝早く出たある日、自転車でわが子を守るため防犯パトロールに出ていたお母さんたちをみたけれど、とうとうここまできたか、
平気でいのちを奪う社会はどういうものだろう、と暗たんたるやるせない気持ちと怒りをおぼえた。

 いったい17年で何が変わり、何が変わらなかったのだろう。
 欲望を丸出しに、金さえあれば人の心も買えると豪語する社長がでる世の中。一方で人と会話できず自分の世界のなかだけに埋没するカルチャーがある。ゲームがなければ意味がないと言いたげな子どもたち。

 何かがおかしい。
 とてもひとことでは言い表せない、ゆがんだ社会になっているのではないか。